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彼女の誕生日を祝うべく、待ち合わせのホテルのロビーに姿を現した皆川透(30歳、独身)は、ロビー脇のラウン ジで一度見たら忘れられない大層美しい容姿をした男を見つけた。 香り立つような色香を纏ったその男性は、上品な黒のスーツを身につけ、その長い足を優雅に組んで、一人掛け ソファに腰を下ろしていた。 ネクタイを緩め、傾いだ顎に細い指をのせ、十分にくつろぎながらも、フレームのない眼鏡の奥の瞳を細め、手元 の資料を一心に読むその姿は、他人を寄せ付けない威圧的な気配を漂わせていた。 漆黒の髪、黒檀のような瞳、白皙の肌。 まるで一枚の絵のようなその光景に、知らず、周囲の視線は集まっていた。
――― オリバー・ディヴィス博士じゃんかよ ?!
と、おそらくその場で唯一、彼の素性を知る皆川透は柱の影から声にならない悲鳴を上げた。
エリートサラリーマンにして、長身痩躯、華やかな彼女持ちである自分を、皆川透は結構愛していた。 今日とて、彼女の誕生日にさり気なく格式あるホテルを押さえ、ラウンジで待ち合わせし、スマートに食事とプレ ゼントを準備するあたりは、やはり『 いい男 』の部類に属するだろうと、彼は悦に入っていた。 つまり、皆川透はそういうナルシストで、けっこう自分は高い水準の人間であると満足していた。 しかし、それとこれとは次元の違う人種がいることを、皆川透は齢30にして知った。それはつい先日のことだ。 そのきっかけが中学の同級生・谷山麻衣と、そのの旦那デイヴィス博士、及び子ども達。 『 君子、危うきに近寄らず 』 というありがたい格言がある。 その忠言そのままに、皆川はもう一生彼とは会わないように生きていこうと心に決めていた。 自分のプライドや生活やスタイル、その他もろもろを平穏無事に守り通すには、それが一番有効な手立てと、 皆川は賢明にも悟ったのだ。それなのに、この運命の悪戯はなんとしたことか、と、皆川透は肩を落とした。 何故か、この広い東京で、何故か目の前にいるその美人こそ、問題の御仁その人なのだから。 正直皆川は逃げたいと思った。 が、苦労して予約したホテルのディナー、ちなみに部屋付き。上機嫌でやってくるだろう口うるさい彼女を思えば、 そこに踏みとどまるを得なく、皆川は意を決してラウンジに足を運び、ウェイターの指示を無視して、博士の視界 から外れた席に腰を下ろした。 自分から博士は見えるが、博士からは気をつけなければ見えない角度のソファに落ち着き、皆川は落ち着きなく 注文したコーヒーを口に運び、まだ姿の見えない彼女に内心で悪態をついた。早く予約していた店に逃げ込み、 この偶然の再会をなかったことにしたかったのだ。 しかし、皆川が待つ彼女がその場に到着する前に、事態は思わぬ方向に動いた。 周囲に全く注意を払わずくつろいでいた博士の下に、トラッドなスーツを着た男性と、華やかな着物姿の女性が 小さな女の子を連れて姿を現し、博士の向かいの席に腰を下ろしたのだ。彼らはもちろんはじめて見る顔だが、 その女性の顔はどこかで見たような気がして、皆川が知らず注目していると、今度はそこに髪の長い派手な女 性、ややあって金髪碧眼の外国人が現れ、その場は一気に騒がしくなった。彼らは顔を合わせるとすぐ互いに 勝手に話を始め、盛り上がっていた。 華やかで騒がしい面々に、それでも博士は無表情に書類から目を離さなかったが、ふと、顔を上げた。 それに応じるように、騒がしかった面々もその視線を追う。 すると、その視線の先には、栗色の髪をした天使のような子どもを抱えた軽そうな茶髪の男性と、漆黒の闇を まとったような綺麗な子ども、長身の男性、そして、朗らかに笑う麻衣の姿があった。 無言で書類を閉じ、立ち上がった博士に倣うように、騒がしい面々も次々とラウンジを出て、ラウンジと境のない 廊下で合流した。 その位置は、不運にも低い垣根越しに、皆川のちょうど背後にあたり、皆川透は無駄と知りつつ、僅かに腰を 落し、ソファに寝そべるようにして座高を低くした。
「うわぁ皆久しぶりぃ、真妃ちゃん大きくなったね」 「ほら、真妃さん。麻衣おばちゃんにご挨拶して」 「おばっっっって、もういいけどさ。真砂子、あんたも同い年でしょうが」 「優人君も晴人君もこんにちわ。お元気そうで何よりです」 「こんにちわ、安原さん」 「ほんまどすなぁ。優人さんはますます所長さんに似てきはりましたね」 「・・・・」 「リンさんもご無沙汰してました」 「お久しぶりです」 「本当に久しぶりね。しかしやぁねぇ、これじゃぁぼーずが晴人の父親みたいよ」 「へへぃ。羨ましいか?」 「バッカじゃないの・・・・って、ナル、言葉の綾なんだから睨まないでよ」 「おうナルちゃん、久しぶり〜。先に帰国してたんなら連絡くらい寄越せよな」 「必要性を感じなかったもので」 「・・・」 「・・・」 「ほら、ノリオ。そんなにめげないで!所長なんだから、いつものことじゃないですかv」 「いや、久しぶりだとちょっと免疫が落ちてて・・・いや、そうだよな。ナルだし・・・うん」 「晴人は元気ないわねぇ。どうしたの?」 「眠いんだよ。綾子おばさん」 「"綾ちゃん"で結構よ?優人」 「・・・」 「ちょっと真砂子、そこでため息つかないでよ。麻衣!あんたもよ」
まるで漫才のようなハイテンポの会話に、皆川は噴出しそうになるのを必死に堪えて肩で息をした。 昔馴染みの会話ではあるのだが、あの、威圧的な男に対して、誰もが負けていないなんて信じられない。 皆川は嫌でも耳に入ってくる会話に、振り向きたい衝動を必死に堪え、何とかその場をやりすごした。 そうこうしているうちに、金髪碧眼の奇妙な訛りのある青年がおずおずと口を開いた。 「あの・・・・皆さん、積もるお話もありはるでしょうが、ここではちょぉと、ご迷惑になってますです」 「ああ、そういやそうだな」 「では、食事に行きましょうか。ちょうど予約時間です」 トラッドなスーツを身に付けた男性が、そう言うと周囲の声は自然そこに集中した。 「場所はこのホテルでいいのか?少年」 「はい。所長がここに滞在されるとわかって、しっかり押さえさせていただいてます」 「ここって最近人気出て予約取りずらかったんじゃない?」 「やですねぇ、僕を誰だと思っているんですか。不肖安原、この手のことに抜かりはありませんよ。一番人気の 『クウィーンズ・レストラン』、もちろんベジタリアンメニュー付属で予約済みです」
―――! 同じトコ?!!
そのあまりにあまりな衝撃的事実に、皆川はびくりと背筋を伸ばし、思わず振り返った。 すると、別の意味で驚いたような派手な女性がそのトラッドなスーツを身につけた男性をばしばし叩いていた。 「うっそぉ、やるじゃない少年」 「少年、着実に技が増えているよな。嫌な大人みたいで、おじさん怖いよ」 「ふふふふふ。何かの折にはお使い下さい。愛しいノリオのためでしたら、お安くしておきますよ」 「金取るんかい」 「へぇ、そこ有名なんだね」 「なんですわよ。さぁ、参りましょう」 そして、食事の話題で盛り上がる面々がぞろぞろと移動する中から、皆川はよりにもよって最後尾を歩く博士と 目が合った。 ピシリ、と固まる皆川。 対して、博士は皆川を完全に無視して促されるままエレベーターホールに向かった。その様子は自分の事など 本気で忘れているようで、それはそれで皆川はちょっと傷ついた。しかし命拾いしたことには違いない。皆川は そのままずるずるとソファの上で背中を滑らせた。
それから30分後、皆川透の自慢の彼女は色っぽい白のワンピースを身に纏い、ホテルのロビーに現れた。 「透ぅ、遅くなってごめんねぇ。道混んでてさぁ」 そして悪びれる様子もなく駆け寄って来た彼女を見上げ、皆川は力なくうめいた。 「・・・・美奈」 「ん?どうしたの?ごめんって言ってるじゃない」 「なぁ、今日は別の場所で飯喰うってわけには・・・」 「えぇ!うっそぉ!予約取れなかったの?!」 「いや、予約はしてあるんだけど・・・・」 「何だ、それなら早く行こうよ!私すっごい楽しみにしてたんだから」 「・・・・だ、よ、なぁ。せっかくのクィーンズだし」 「そうだよ!誕生日なんだしぃ」 そして、皆川徹は、おろしたての彼女のワンピースより更に蒼白な顔をして、まるで幽霊のように、エレベータ ラウンジに向かった。
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言い訳・あとがき BBS No.77 はなこi様からのキリリク 「 SPR+イレギュラーズと出会った皆川君 」 です。 詳しくは、イレギュラーズにからかわれる皆川透とのことでしたので、その件に関しては後編をご覧下さい。 2006年7月
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