「しくじったな」

 

 

優人は思わずそう洩らすとため息を付き、痛めた右足首を擦った。

常々、調子に乗って悪乗りしやすいと母親に叱られることは多かったのだが、その小言を優人はいつも自分に手を出す相手が悪いと改めようとはしなかった。

今回のトラブルはそのツケが回ってきたということだろう。

優人はうんざりとしながら肩を落とした。

 

     

    

 

       

 

 

 

鳴く声

  

  

 

谷山 優人 ( 英名 : ユート・デイヴィス ) 10歳。

 

美麗と称される容姿と、明晰な頭脳、鋭敏な運動神経を持ち合わせたこの子供は、幼少の頃から父親の仕事の関係で母国であるイギリス、アメリカ、日本での移住を繰り返しながら成長していた。

彼の容姿や生い立ちや能力は新しい環境でも好意的に迎えられることが多かった。

しかし、それでも全てが全て好意的とは限らないし、既に出来上がっているコミュニティに新規加入するのはそれだけでプレッシャーだったことは事実で、繰り返される転校にナーバスになっていた時期もあった。だがそれも3回目ともなると諦めもつき、今では多少のことがあっても生来の負けん気の強さから気に病むことはしなくなっていた。少なくとも優人本人について、優人は何も心配していなかったし、事実問題も少なくすんだ。

だが約5年ぶりに母親の母国である日本に移住した今回ばかりは少し勝手が違った。

母国のイギリスとはまた違った排他的な風潮のある日本。

特にそれが顕著に現れる学校という小さな世界に、今回は自分ばかりでなく、目に入れても痛くないほど可愛い弟が編入することになったのだ。

そのことでどこか好戦的な優人の神経が普段より幾分か鋭くなっていた。

 

 

  

  

 

「お前、イギリスから来たんだろう?そうしたら英語喋れるんだよな。何か喋ってみろよ」

 

 

 

 

転校初日。

優人は自分の分のカリキュラムが終わると直ぐ1年生として編入した晴人のクラスに立ち寄った。

栗色の髪、鳶色の瞳をした愛らしい天使のような容姿の弟、晴人はすぐに新しいクラスの女子に受け入れられた様子だった。

が、その反動として男子に反感を買ったのだろう、早速数人の男子生徒に絡まれていた。

――― 言わんこっちゃっない。

優人は自分の勘が正しかったことを痛感しつつ、物陰に潜み、しばしその様子を伺った。

もちろん手酷い状況になったのなら直ぐに救けに入るつもりだったが、それでは過保護が過ぎる。

まるで父親のような優人の心配を他所に、どこか図抜けて鈍い晴人は同じ年の男の子の嫌味にも気がつかず、満面の笑みを浮かべて返事をした。

「君英語できるんだ!」

にこにこと笑いながら予想外の返事をした晴人に絡んできた生徒の方が面食らって絶句した。が、晴人は構わず続けた。

「良かったぁ。本当は日本語より英語の方がラクチンなんだ」

晴人はそう言うが早いか直ぐ次の会話から早速英語を喋り始め、沈黙したクラスメイトにら首を傾げて日本語で尋ねた。

 

「ブリディッシュだとダメ?アメリカン英語の方がいい?でも僕のアメリカンってなまりが強いんだって。だから聞き取れないかもしれないし・・・・・君はどこで英語を覚えたの?」

 

―――― 案の定っていうか、晴人最強だな。

 

とんちんかんな返事を続ける晴人と、それに固まる1年生の子供らを見渡し、優人は毒気を抜かれて苦笑しながら教室のドアをノックした。そうして小さな視線がびっしりと自分に集まるのを感じつつ、優人は教室の端の席できょとんとしている晴人に声をかけた。

「晴人。今日はもう終わったんだろう?帰るぞ」

優人の声にざわりと教室が揺れるようなどよめきが生じた。

その中を縫うようにして、晴人は満面の笑みを浮かべて席を立った。

「ごめんね、お兄ちゃんが来たから僕もう帰るね」

「晴人君のお兄ちゃん?」

俄然色めき立つ女の子の集団に、晴人は誇らしいように微笑んで頷いた。

「うん、今日からここの4年生になったんだ」

晴人はそう言うと周囲を取り囲んでいた女子と男子に等しくバイバイっと手を振り、真新しいランドセルを背負うと優人の下に駆け寄ってきた。

「お待たせ優人!」

愛らしい笑顔は母親そっくりで、優人は思わず抱きしめそうになったが、辛うじてここが日本であることを思い出し、伸ばしかけた手を晴人の肩に回すに留め、並んで昇降口に向かった。

その間にも背中に顔にと痛いほどの視線を感じたが、優人は慣れていたし、晴人は気にならないのか笑顔を崩そうとしなかったので、優人はそれを完全に無視して晴人を見つめた。

「終わるの遅かったな」

「お話していたら帰りそびれちゃったんだ。優人の方こそ早かったね。4年生は遅くなるかもって言ってたのに」

「今日は初日だから特別。色々免除されたんだよ」

「めんじょ?」

exemption ・・・・ってこんな単語分かんないか

「うん。知らない」

悪びれもせず、にこにこと笑い続ける晴人に優人は苦笑しつつ、ふと思いついて英語で話しかけた。

『 新しい学校はどうだ? 』

突然英語に切り替わった会話に晴人は首を傾げたが、直ぐに一番慣れ親しんだクィーンズイングリッシュで返事をした。

『 まだ1日目だもん。よく分かんないよ。でもみんな親切だよ 』

『 あ・・・そう 』 

『 優人の方こそどう? 』

『 日本の学校は2度目だしな。まぁ似たような感じだよ 』

『 ふぅん 』

どこまでも平和で、何も勘付いていない幼い弟に、優人は眉根を寄せた。

『 せめてインターナショナルスクールだったら良かったんだけどな 』

『 何が? 』

優人がぼそりと呟いた言葉に晴人が首を傾げると、優人はあきれたように眉根を下げ、晴人の鼻の頭を指でつついた。

『 晴人、さっきお前がバカにされていたのわかってるのか? 』

『 え? 』

『 英語喋ってみろって言われてただろう? 』

『 ああ聞いてたの。でも、僕早口だったかなぁ・・・通じなかった 』

『 あれな、別に晴人と英語でおしゃべりしたいってわけじゃないからな 』

『 そうなの? 』

言われたことの意味が分からないっといった様子の晴人に、優人はため息をつきつつ、誰にも分からないだろうと少し声のトーンを高くして言い含めた。

『 現に言った本人英語まるで分かってなかっただろう? あいつはただ単に晴人を見世物にしたかっただけなんだよ。つまり余所者の僕たちをバカにして遊びたいだけなんだよ 』

『 なんで? 』

『 さぁね。無駄な愛国精神でもあるんじゃない?保守的な人間のやる事なんて理解できないね 』

優人はそう言うと露骨に眉を顰めた。

『 何でか知らないけど日本では特に多いんだ。困ったことがあれば直ぐに僕に言うんだぞ 』

『 別に困ってないよ? 』

『 これからだよ 』

『 ふぅん 』  

どこか気のない様子の晴人に優人は少し焦れて荒い言葉を使った。

 

 

『 どっちみち下らないバカの言うことは気にするなってことだけどな。そんなものに価値はない 』

 

 

口の悪い優人に今度は晴人が顔を顰めた。その表情に優人は意地悪く微笑んだ。

その時だった。

  

『 新しい転校生は随分過激だな 』

 

突然、流暢な英語で話しかけられ、優人は驚いて声のした方を振り向いた。

そこには一人の男子生徒が明らかに敵意のこもった視線で優人を睨み付けていた。その男子の側には二人ほど友達がいたが、その二人には優人と晴人の会話が聞き取れなかったらしく、ぽかんとした表情のまま優人に話しかけた男子生徒を見つめていた。

優人は内心でしくじったと舌打ちしながら、さっと表情を消し、声をかけた男子生徒を見返した。名前までは覚えていなかったが、3人居並ぶその顔は同じクラスにいたものとだけは見分けがついた。

そのことに優人が気をとられているうちに、声をかけた男子生徒は不機嫌そうに声を荒げた。

 

『 英語だったら誰にも聞かれないとでも思っていた? 随分バカにしたもんだな。残念だけどヒアリングできる小学生だってたまにはいるんだよ 』

 

『 それは失礼 』

優人が悪びれもせずそう言うと、男子生徒はますます面白くなさそうに顔を顰めた。

『 ずいぶんなこと言ってたな 』

『 言い過ぎたのは認める 』

優人はそう言うと肩をすくめた。

『 でも実際にさっきは弟がバカにされていたんだ 』

『 そして今度はこっちをコケにしたってわけだ 』

『 ・・・・ 』 

『 同じことだよな。面白くない 』

 

男子生徒はそう言うと話は終わったとばかりに踵を返し、グラウンドの方向に歩いて行った。

そのやり取りに、晴人は心配そうに優人の袖をひっぱった。その今にも泣き出しそうな晴人の表情に、優人は眉間の皺を深くし、乱暴に栗色の髪をかき混ぜた。

 

口が滑った。

  

と、言った端から優人は後悔してはいた。

「 人をバカにしたような態度はママ大嫌いよ 」

いつも母親に厳しく忠告されていたのに、悪い癖が出てしまった。

どこかぼんやりしている晴人を叱り飛ばしたいような、それでいて説教しつつ庇護したいような、奇妙な虚栄心がつい口をついて出てしまった。そこに口の悪い父親を真似たような態度が加わってしまったのもいつも注意される悪い癖だ。

それを指摘され、謝るよりも先にむきになってしまった。

 

―――― これってやっぱりまずいよな。

 

優人はそう思いつつもどうしていいのか分からず、ただ心配そうな晴人を安心させるために、小さく微笑んで見せた。

   

    

    

      

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