すぎる背中

第2話  Shibuya Psychic Research

 

 

渋谷の事務所の中では、アルバイト調査員が冷酷無比の所長様より苛烈な叱責を受けていた。

 

 

「人間は慣れたと自覚すると同時に油断して、安全マージンをとことんまで食潰す厄介な性質を持っている」

それは大変静かな口調ではあったが、声は怒りを通り越した呆れを多分に含んでいた。

「それを防ぐためには、常に自分を客観視し、安全を確保するように努める必要がある。これは生まれついての能力ではなく、トレーニングで培われるスキルであって意識の問題だ。わかるか?」

生まれはアメリカ、国籍はイギリス。その血に日本の血が含まれているとは言え、母国語でもない言語を器用に扱う天才肌の所長様は、そこに嫌味を込めた難解な表現を含ませつつ、アルバイト調査員に詰め寄った。

生まれも育ちも東京。喋れる言語は日本語のみという、生粋の日本人であるところの調査員は並べ立てられるお叱りのお言葉に半ばうんざりとしながらも頷いた。

「・・・・・・・・・・・・・はい」

「お前はいったい何年ここで仕事をしている?」

「・・・・・・・・・・・」

「麻衣」

「ごめんなさい」

か細い謝罪の声に、麗しの所長様ことナルはため息をついた。

「もういい。麻衣、お茶」

「うへぇい」

「なに?」

「いいえ!わかりました、所長!本当にごめんなさい。二度と調査中には暴走しません!」

調査員こと谷山麻衣の大声に、ナルは不信の表情を拭うことなく瞼を閉じ、あっちへ行けとジェスチャーした。

 

 

 

 

東京、渋谷道玄坂。

『 Shibuya Psychic Research 』

 

 

 

 

ここでは学術的見地から心霊現象について科学的調査を行い、必要とあらば霊能者と呼ばれる協力者を招集し、その問題解決に尽力している。その大元はイギリス心霊調査協会SPRで、ここはその日本支部として位置付けられている。

所長は若干21歳の漆黒の美人、渋谷一也こと、オリヴァー・デイヴィス博士。通称ナル。

漆黒の髪、黒檀のような瞳、白皙の美貌。

眉目秀麗、頭脳明晰、新進気鋭の若きカリスマ心霊研究家であるところの彼は、しかしてその長所を補って余りあるほど性格が悪い。

その性分は、傍若無人、天上天下唯我独尊的ナルシスト。

あわせてマッドサイエンティストにして、ワーカーホリック。

そんな博士の周囲にいる人間は、おのずと彼の自己中心的行動に振り回される。

しかもご意見申し上げたところで、待ち構えているのは極めて殺傷能力の高い毒舌なのだから始末に終えない。

彼と付き合うには、一筋縄ではいかない忍耐と努力が必要とされることはもはや常識となっている。

今現在、その忍耐を最も強いられているのは、彼の監視役かつ部下である林興除、アルバイト調査員かつ恋人の谷山麻衣、同じくアルバイト事務員の安原修であった。

 

 

ナルが所長室に引き返すのを見送ってから、安原は疲労困憊の麻衣を見下ろし苦笑した。

「今回のお説教は長かったですねぇ」

「もう、本当にねぇ!しつっこいったらないよ」

「まぁ、前回の調査では、確かに谷山さん暴走しまくってましたからね」

「・・・・うりゅぅ」

へたりと、応接セットのテーブルに倒れ込む麻衣に、安原はため息をついた。

「所長も心配なんですよ。もう少し、ご自分を大切になさって下さいね」

やんわりと釘を刺され、麻衣はさらにうなだれた。

栗色の髪がさらりと揺れて、鳶色の瞳に陰を落とす。

生粋の日本人にしては色素が薄く、表情豊かなこの少女は、豊かな感受性そのままに時として暴走する。
特に危険と隣り合わせの心霊調査中に対象や被害者に感情移入をし過ぎると、後先構わず飛び出す癖があって、その度に周囲のものは肝を冷やしていた。ともすれば大怪我にも繋がりかねない危険なことと、本人も了解しているのだけれど、感情が先んじるとそのコントロールができない。その情感豊かなことが時と場合によっては良く作用することも多々あったが、それで危険が伴えば本末転倒となる。

その度に、少女は常に冷静沈着、優秀過ぎる頭脳をお持ちの所長様に烙印を押されるのだ。

 

 

未熟者の半人前。と。

 

 

その時ふいに電話が鳴った。

慌てて顔を上げた麻衣を制して、安原が電話に出た。

「はい、渋谷サイキックリサーチ・・・・・森さん?」 

慣れた口調から突然の上司の名前に、麻衣が安原を見遣ると、安原も少し慌てた調子で言葉を続けた。

「ええ・・・・はい。所長もリンさんもいらっしゃいますけど・・・・森さん、今どちらですか?」

「・・・・・」

「もう成田なんですか?! ええ、はい。はい。では、2名分のホテルを取っておきます。ええ、わかりました。はい、その方がご一緒なんですね。はい、あ、今メモ取りますね。・・・・・・ええ、大丈夫です。どうぞ。はい、はい、那智の滝で?・・・ええ、OKです」

安原は電話を耳から話さずに、器用にメモ用紙にさらさらと書き付けていった。

麻衣はそれを横から覗き込み、癖のない文字を読んだ。

 

 

 

゛ 山上 那智 "

 

 

 

書き込まれたのはごくシンプルな日本名だった。

麻衣が首を傾げながら安原を見上げていると、所長室のドアが開いて、中から不機嫌そうなナルが顔を出した。

「麻衣、お茶」

言外に遅いと督促する声に、麻衣はしーと唇の前に指を立て、足音を忍ばせてナルの側に寄った。

「まどかさんから電話が入っているの」

゛まどか゛という口うるさい上司の名前に、ナルはあからさまに顔を顰め、電話を続けている安原を見遣った。

「用があるならメールにしろと言っているのに・・・」

「それがねぇ、何か今、成田にいるみたいなんだよね」

麻衣の情報にナルの眉間の皺が更に深くなった。

「それにどうも一人じゃないみたいなんだ。安原さんが2人分のホテル取るって言ってたし」

「2人?」

「うん」

ナルはうんざりとした表情で麻衣を見下ろし、早口で会話を交わす安原をみやってから、ため息をついた。

「麻衣」

「はい?」

「とりあえずお茶。後は電話が終わらないと話にならない」

麻衣は苦笑しながら頷いた。

「はいな。リクエストは?」

その暢気な笑顔に、ナルは片眉を吊り上げ、冷笑した。

 

 

 

「 煩い上司を追い返してくれ 」