すぎる背中

第4話  全ては日本に帰ってから

 

 

本来ならばミーティングに使用される奥の小さな部屋に、まどかは那智と朝子を案内した。

緊張し通しで、とにかく落ち着かない2人を見渡し、まどかはスタッフに人数分の紅茶を持ってくるよう指示し、すぐにでも話を始めそうな2人を制した。 

「まずはゆっくりアフタヌーン・ティーにしましょうよ。お話はそれからでいいわ」

客人と伝えたので、スタッフは茶葉から入れたミルクティーを準備してくれた。

通常、ラボと呼ばれる研究室でまで茶葉を準備することはないのだが、約一名やけに小うるさい研究員がいた為、まどかのラボでは今でも茶葉を準備する習慣が消えずに残っている。その慣習の起因を思い出しひっそりと微笑みながらまどかはゆっくり紅茶を味わい、それからようやくして2人に話し掛けた。

「まずは改めて自己紹介ね。私は森まどか。日本人で、このトリニティ・カレッジで超自然科学の研究をやっています」

促され、まずはベリーショートの女性が口を開いた。

「突然押しかけてすみません。私は山上那智と言います」

続いてロングヘアの女性が付けたすように挨拶をした。

「友人の伊藤朝子です」

「2人は観光者?」

「はい、私と朝子の大学時代の友達がロンドンで結婚式を挙げて、それに出席する為にイギリスに来たんです。せっかくだから色々観光をしようって昨日まではロンドン市内にいました。それで明日には日本に帰国する予定です」

「とすると、2人は同級生?」

「はい、今年28になります」

「それがまたどうしてケンブリッジに?」

まどかが尋ねると、2人は顔を見合わせ、それから恐る恐るといった体で話を始めた。

昨晩あった出来事、聞き取れた3つのキーワード、その後ケンブリッジについてからの那智の様子。

那智が神社の娘で、元々霊感が鋭く、憑依されやすいこと。しかし、ここまで酷いことは過去になかったこと。

那智の家族に霊感はないが、帰国し、きちんとお祓いをしてもらえばおそらく祓えるであろうこと。

しかしイギリスに滞在できるのは明日までで、それ以降簡単に来ることはできないだろうからと、3つのキーワードから導き出されたこの地に足を運んでみたこと。

柔らかい声に熱心な相槌が打たれ、初めはあまりにとっぴなことと口に出すことを躊躇っていた2人も次第に熱を帯びた。

熱心に話を聞く傍らで、まどかはそんな2人の様子を冷静に観察した。

特に今現在憑依を訴えている那智については、憑依者が訴える様々な事象と同様の症状が見られた。

――― では、その霊体が私とナルに会いたいってことかしら?

まどかは一通りの話を聞き終えると、ゆっくりと会話を転換させた。

「それじゃぁ、山上さん。山上さんは自分にどんな人が憑いているかわかる?」

まどかの質問に那智は苦しいような表情を浮かべながら、しばし沈黙し、それから首を横に振った。

「よく・・・・わかりません」

「じゃぁ、その人は一人?」

「え?」

「複数人数って場合もあるでしょう?」

まどかの質問に那智は思いもつかなかったと目を丸くし、首を横に振った。

「一人だと思います。大人数なんて、意識したこともなかったから・・・」

「そうかぁ、でも一人なら性別くらいははっきりするわよね。男性?それとも女性かしら?」

「多分・・女の人だと思う」

「女性かぁ。そして私と彼に会いたいってことは面識があるはずよね。山上さん、私の名前言い当てたし」

まどかの指摘に那智は一瞬ぽかんとしたが、すぐに神妙に頷いた。

「そうですよね。そうか、気がつかなかったけど、そういうことになりますよね」

「ね」

まどかはゆったりと微笑み、椅子から立ち上がると那智の側まで歩み寄り、膝元にかがみこんで那智の腕を掴み、やんわりと彼女特有の笑みを浮かべて見上げた。

「私を見て、思うことは?」

「まどか・・・さん」

「まどかでいいわ」

「・・・まどか」

魅入られたように自分を見つめる那智に、まどかは更に微笑を深くした。

それに弾かれるように強張っていた那智の表情にも笑みが浮かんだ。

「 『会いたかった』 」

「そうなの、会えて良かったわね。でも、私はあなたが誰だかわからない。あなたは誰?」

「私は・・・・」

言い淀む那智の手を摩りながら、まどかは首を傾げた。

「前に会ったことがあったかしら?」

これには縦に首が振られた。

「オリヴァーも知っているのね?」

「オリヴァーと・・・」

「オリヴァーと?」

「ユージーンを」

「あら、あなたは双子を知っているの?」

それにも首を縦に振り、那智はまどかの手を握り返した。

焦点の合わない視線に、まどかが更に問いかけようとすると、その顔は突然苦痛に歪んだ。

――― いけない!

握った手に爪を立て、那智が頭を振る様をみて、横にいた朝子は怯えきった様子で硬直した。それを押しのけてまどかは那智の横に滑り込むと、ガタガタと椅子ごと震えだした那智を抱きしめた。

「山上さん!」

まどかの問いかけにも那智はもう答えることをやめ、耐えるように顔を伏せ、必死にまどかの腕を掴んだ。

 

 

 

 

「…ごめ、んなさい・・・」 

ようやく震えが収まった那智は、髪を振り乱し、腕に真っ赤な傷跡をつけながらも自分を抱きしめ続けてくれたまどかに気がつき、あわてて謝罪した。それから部屋の隅で蒼白な顔をしている朝子を見つけ、那智は泣きたいような気分になった。

こんな気味の悪いことには、誰も好んで付き合いたいとは思わない。

怪談は対岸の火事であるからこそ面白いのであって、身近で、醜態を晒すことは愉快でもなんでもないことだ。

観念したように瞼を閉じると、予想に反して、自分を抱きしめていたまどかはあっけらかんとした声で返事をした。

「たいしたことないわ」

自分の微笑みは春の日差しのように他人の何かを緩和する。

その自覚を十二分に持って、まどかは更に自信を持って微笑んだ。

「明日、2人は日本に帰国する予定よね」

「は・・・はい」

「私も同行していいかしら?」

「え?」

「探しているもう一人の人物は今、ちょうど日本にいるのよ」

きょとんとした顔で自分を見上げる那智にまどかは極上の笑顔で笑いかけ、すぐに内線電話に手を伸ばし、スタッフに航空券の手配と出張申請の提出を手早く指示し、それからいくつかの研究室にやりかけの仕事の段取りを済ませた。時間にして30分。それだけの時間でまどかは驚くほど素早く日本行きの準備を終わらせた。

「日本に行くのも久しぶりねぇ」

全ての手配を終わらせると、まどかは会議室の隅にあった固いソファに腰を下ろし、ハイヒールを脱いだ。

そして先ほどの騒ぎで破れてしまったストッキングを器用に脱いで、手前にあったゴミ箱に捨てた。

その様子に那智が顔をしかめると、まどかは行儀が悪くてごめんね、と、当て外れなことを言って笑った。

「あ・・・あの」

戸惑いを隠せない那智と朝子に、まどかは悪戯っ子の笑みを浮かべて首を傾げた。

「SPRって聞いたことあるかしら?」

「?」

「・・・いいえ・・・」

「Society for Psychical Research の略なんだけどね。和訳すれば、 イギリス心霊調査協会ってことになるの」

「心霊・・・調査?」

「ええ」

「あの・・・それが?」

「お探しのオリヴァーも私も、ケンブリッジに在籍しているそこの会員、研究者、つまりは専門家なの」

「え?」

「SPRは心霊現象を科学的見地から検証する世界でも一番古くからある団体なのよ」

「心霊・・・」

「だから、こういうことに偏見はないし、そもそも私達の方が今回の件の原因であるのかもしれないから。多分、今回山上さんが陥ってしまったことについても、解決に協力できると思うの。日本には優秀な霊能者陣もいるし」

「・・・・」

「一人だと怖いでしょう?」

あっさりと本音を口にするまどかに、那智は泣きたいような胸苦しさを感じた。

「よくわからないの」

「ええ」

「もしかしたら、分かるのかもしれないけど、目を逸らしてしまうから、分からないの」

「ええ」

「直視したら、持っていかれそうな気がする」

「それは正しい判断だと思うわ。見え過ぎると危険なことは多いもの」

真摯な眼差しが痛いように心地よく、那智はそこで深呼吸をし、椅子にもたれ掛かった。

緊張が解けた身体は酷く重く、長時間のフライト直後のように全身に倦怠感が回っていた。

「でも、憑依状態が続くのは危険なことよ。日本へ帰国したらすぐに現地のスタッフに連絡を取るから、数日付き合ってもらっていいかしら?あちらの人間には憑依を落とすのが得意な人もいるし、山上さんと縁が深そうな巫女さんもいるわ」

ぼんやりする頭で、那智はまどかの言葉に素直に頷いた。

どの道、このままでは何もすることはできない。

「なっち」

「・・・・朝子」

声をかけられて、那智はつい存在を忘れていた友人の方に視線を移した。

昨夜に続き、自分の異常事態を目撃した友人は、それでも心配そうな表情をしていたが、その瞳の奥には確かに恐怖心と異質なものから逃れようとする意思が見てとれた。

しかし、こちらの反応の方が当然と言えば当然なのだ。

那智はこれまでの人生で幾度か体験した拒絶から精神を守ろうと、慣れた手順で心の扉を軽く閉じた。

「朝子は帰国したらすぐ地元に戻らないといけないもんね。仕事もあるし」

「う、うん」

「朝子は憑かれたわけでもないのに、ここまでつき合わせてごめんね。帰国したら予定通り別行動にしよう?私はちょっと、まどかさんとこの件に付き合わないといけなくなっちゃったみたいだから」

自分から明るく言うと、朝子は明らかにほっとしたような表情で頷いた。

 

 

 

それでも朝子はホテルに帰るとすぐに日本語表示ができるパソコンを手配し、まどかが説明したSPRについて検索をかけ、疲れて何もやる気になれなかった那智に団体のおおよそをかいつまんで説明した。

「こんな団体があるなんて知らなかったけど、まぁ大きなところみたいだし、行き先は日本で、まどかさんは優しそうな日本人女性だったもんね、変な風にはならないと思うけど」 

「うん・・・」

「騙されそうになった^り、危ないって思ったら、すぐに電話してね」

優しい大人は時々無自覚に残酷になる

閉じたはずの扉の奥で、那智ではない誰かはそれに対して酷く攻撃的に激した。

那智はそれを苦心して胸の奥に押さえ込み、それで倍疲れを感じながらも、何とか朝子に大して礼を言って微笑んだ。

――― 私は私。 あなたのものじゃない。

発熱、嘔吐、発疹。

強い意思は酷い拒絶反応を起こした。

けれど、その自覚のせいか、二日目の晩は3人の心配に反して、那智がその何者かに乗っ取られることはなかった。

単純に良かったと喜ぶ朝子の反面、同じ部屋に泊まりこんだまどかは、那智の憔悴ぶりから那智がどのような状況に陥っているのかを正確に把握したようで、トレードマークの微笑を浮かべつつも、一時の油断も見せずに、那智から目を離そうとはしなかった。

 

 

 

「山上さん」

「はい」

「私、あなたみたいに強い人大好きよ」

 

 

 

日本へ向かう飛行機の中で、何でもないことのようにさらりと告白するまどかに那智は目を見張った。

そして、ふんわりと春の日差しのように笑う優しげな容貌の奥にあるその力強さに、那智は苦笑した。

 

「私も森さんのこと好きですよ。頼もしいわ」

「あら、嬉しい。それじゃぁまどかって呼んでね」

「じゃぁ、私は那智で」

「改めてよろしくね、那智」

「私こそよろしくお願いします」

「では、何はともあれ日本へ行きましょう」

「そうですね」

「頑張って戦いましょう。あなたの身体はあなたのものだわ。あなただけの時に、私はゆっくり話がしたい」

「同感です」

 

そして一路日本へ向かった。