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遠すぎる背中 |
第5話 I miss you . |
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「こんにちわ、です」 愛らしい柔和なベビーフェイスが実際の年齢よりも随分若い印象を与える金髪碧眼の司祭・ジョン・ブラウンが、時に彼の仕事の一環として協力している心霊事務所・渋谷サイキック・リサーチのドアを開けると、その中は普段のそっけないほど簡素な事務所とは異なり、まるで調査中のようなどこか慌しい様相を呈していた。 事務所中央にはソファセットを取り囲むようにカメラとマイクが設置され、床には幾本ものケーブルが延び、その先は機材室へと繋がっていた。 その光景にジョンがいささか面食らっていると、物音に気がついたであろう栗色の髪をした調査員がひょっこりと機材室から顔を出し、訪問者の顔を見るや、ぱっと輝くような笑顔を作った。 「あ、ジョン!久しぶりぃ。突然呼び出してごめんね」 「いえ、近くにおりましたさかい、久しぶりに寄らさしてもらおうか考えていたところでしたから、ちょうどよろしゅうおました」 「本当に無理しなかった?」 「大丈夫ですから、そない気にしないで下さいです」 ジョンがやわらかく微笑むと、つられたように調査員・谷山麻衣もふんわりと笑い、ジョンに機材が取り囲むソファに薦めた。 「ちょっと愛想がないけど、我慢してね。ジョンはお茶でいい?」 「何でもかましまへんが・・・それよりも谷山さん。今日はお急ぎのお話やなかったんですか?」 ジョンが話を促すと、麻衣はうん、まぁ、と曖昧に微笑み、自分のデスクから資料のコピーを取り出し、ジョンに手渡した。 「実はね、今日になって突然まどかさんが日本に来たの」 「森さん、ですか?」 「うん、そう。イギリスでね、突然何かに憑依された旅行中の日本人女性に尋ねてこられて、その人がまどかさんとナルに会いたいって言ったんだって。それで、その人がちょうど今日帰国予定だったから、まどかさんも一緒に日本に来たみたいなの。この資料はまどかさんがその人と話をした内容を飛行機の中でまとめたレポートなんだけど、これもついさっきメールで送られてきたばっかりなんだ」 手渡された資料にジョンが視線を落としたと同時に、軽やかな音がして、事務所のドアが再び開いた。 ジョンが振り返るとそこには顔見知りの霊能者、原真砂子がトレードマークの和服姿で顔を出したとことだった。 「お邪魔しますわ」 「真砂子いらっしゃい!」 「こんにちわ、麻衣」 「原さんお久しぶりです」 「あら、ブラウンさんもいらっしゃっていたんですのね。随分とご無沙汰しておりましたわ」 「ほんまですねぇ。お元気そうで何よりです」 おかげさまでと優雅に会釈しながら、真砂子は雰囲気の違う事務所を見渡し、僅かに顔を顰めた。 「何だか雑然としておりますこと、麻衣、あたくしには玉露を下さいませね」 そして遠慮なくソファに腰を下ろす真砂子に、麻衣はむぅっと口を尖らせたが、そのまま諦めたように給湯室に引っ込み、ほどなくして3人分のお茶をトレイにのせて戻ってきた。その間にジョンと真砂子は麻衣が手渡した資料にざっと目を通し、それからソファを取り囲む機材に視線を這わせた。 「この憑依された疑いのある方、これからみえられますの?」 入ったばかりのお茶を受け取りながら真砂子が尋ねると、麻衣は頷いた。 「そう。今、リンさんと安原さんが迎えに行ってる。その人、山上さんって言うんだけど、旅行帰りで荷物も多いだろからって、とりあえず近所のホテルにチェックインして、荷物置いてから事務所に向かうことにしたの。ホテルはまどかさんと一緒の場所で、一応リンさんがお清めして、結界張っておくって。その後で、事務所で本格的に話を聞くことにしたんだ。だからこんな調査中みたいなカメラとマイク設置したんだよ。今は機材室が簡易ベース」 「それで僕と原さんを呼ばれたんでっしゃろか?」 「うん。レポートにも書いてあるけど、山上さんは元々憑依体質の疑いがあるんだ。それで自覚がある分憑依されている負担が大きいみたいなの。体調も悪くなっているみたいだから、詳細がわかったらすぐに落とした方がいいだろうって」 「体がしんどいようでしたら、そないした方がいいでっしゃろなぁ」 神妙に頷くジョンを横に、真砂子は不満そうな顔をしたまま首を傾げた。 「大体のお話はわかりましたわ」 「うん」 「それで、当のナルは今どちらにいらっしゃいますの?」 真砂子の質問に、麻衣は苦笑になりきれない乾いた笑みを浮かべ、背後の所長室を指差した。 「所長室にいるよ」 「協力者が駆けつけたというのに、顔も出さないおつもりかしら?」 「いや・・・・・・・多分、呼べば出てくるとは思うけど・・・・・」 麻衣は幾分か遠い目をしてから、ジョンと真砂子の顔を見比べた。
「呼んでもいい?それともぎりぎりまで伸ばす?」
麻衣のごく控えめなお伺いに、ジョンは素直に首を傾げた。 「どういうことでっしゃろか?」 対して、真砂子は大仰にため息をつき、うんざりしたように麻衣の語尾を続けた。 「つまり」 「・・・・うん」 「突然の森さんの来日にナルのご機嫌は」 「少なくてもこの1ヶ月の中では最低最悪」 「・・・」 「・・・」 「・・・」 「そもそもナルがらみのお話なんではございませんの?」 「そうなんだけどさぁ、それがかえって火に油みたいなんだよね」 不機嫌で不条理な所長殿に、一般的な苦言は通用しない。 既に、そんな彼の性分に十分慣れ親しんでしまっている3人は顔を見合わせ、曖昧に微笑みあって沈黙した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
応接室に嫌な沈黙が流れた時、ブルーグレーのドアはその日3番目の客人の手によって開かれた。 「いらっしゃ・・・」 「やぁぁぁん!麻衣ちゃん久しぶりぃぃぃ!!!!」 出迎えようと立ち上がった麻衣は、飛びつくようにして抱きついて来た客人に目を丸くしたが、すぐに彼女の胸に懐き、にんまりと微笑んだ。 「まどかさん!」 「元気そうで何よりだわぁ!もうずっと会えなかったから寂しかったのよ?」 「私も会いたかったですよ?」 「本当?嬉しいわぁ」 柔らかな春の日差しのように微笑む年下の部下をまどかはきゅうっと抱きしめ、それから同行してきた女性を紹介した。 「那智さん、ここがさっき説明した日本支部の事務所。で、彼女がここの調査員、谷山麻衣さんよ」 紹介された言葉から、麻衣はへらりと緩んだ顔を引き締め、まどかから離れ、丁寧に頭を下げた。 「初めまして、調査員の谷山麻衣です。お話は森から伺っております」 まどかの後ろから中の様子を伺っていた那智は、瞬時に改まった麻衣に面食らったが、すぐに微笑を浮かべて会釈した。 「山上那智です。今回は突然すみません」 「とんでもありません!今、お話を伺う際にきちんと記録が取れるように準備しておりまして、事務所も雑然としておりますが、どうぞ中にお入り下さい」 麻衣は元気よく顔を上げ、静かに微笑む那智を見上げた。 背の低い麻衣に比べ、対面した那智は女性らしい細身の長身だった。 ――― すっごく背の高い美人さんだなぁ。 麻衣は胸の内で那智の容姿に驚きながらも、その顔色が病的に白いことに気がつき、本人に気がつかれないようにまどかに目配せした。その視線だけでまどかはにっこりと微笑み返し、麻衣が受けた印象を裏付けた。声を出さずに頷き、麻衣は先客を那智に紹介した。 「こちらは、今回、山上さんのお話を伺うにあたって同席させて頂く、この事務所の協力者です」 「司祭のジョン・ブラウンいいます。よろしゅうおたの申します」 「原真砂子と申します」 金髪碧眼の祭司に、和服の美少女タレント。 その珍妙な取り合わせに那智は驚いた様子だったが、後についてきたまどかがそれに説明を付け加えた。 「ブラウンさんは憑依霊を落とすのが得意なキリスト教の司祭さんで、原さんは優秀な霊媒なの。だから今回のケースには一番有効な協力者だと思って、お手伝いして頂くようになったのよ」 悠々に微笑むまどかを那智はすがるように見つめ、その笑顔に納得し、薦められたソファに腰を下ろした。 それを見計らって麻衣は給湯室に向かい、リンと安原が遅れて事務所に到着すると、まどかは所長室に向かい、ほどなくして不機嫌そうな漆黒の美人を連れて応接室に舞い戻った。 何気なくまどかの方へと視線を向けた那智は、そこに突如現われた年若い青年の姿に目を丸くした。
漆黒の髪、黒曜石のような瞳、白皙の肌。
鴉のように全身黒ずくめのその青年は、桁外れの美貌の持ち主だった。 しかもその当人は見つめられることには十分慣れているようで、那智の視線を歯牙にもかけず、不機嫌そうな表情を隠すことなくソファに座り、慇懃な態度で那智を見つめた。 深い闇色の瞳に射貫かれ、那智は呆然とした表情のまま硬直した。 「所長の渋谷一也です」 しかし、美貌の主、ナルが名を告げた瞬間、那智は金縛りが解けたようにびくりと目を見開き、それからいぶかしむように首を傾げた。 「違うわ」 「は?」 「だって、あなたオリヴァーでしょう? しぶや・かずや なんて名前じゃないわ」 血液中のおおよそがを日本人の血で構成されているナルの外見は、整いすぎていることを除けば、日本人と言い張って不自然なところはない。にも関わらず、日本名の偽名を瞬時に見抜いた那智に、ナルは目を細め、僅かに口の端をつり上げた。 「何故、そう思うのですか?」 問われて、那智は自分が口走った言葉の不自然さに今初めて気がついたような顔をし、眉根を寄せた。 「いえ・・・・ただ、なんとなく・・・」 「何となく?」 「は・・・い。何となく、そんな気がしたんです」 知らず、緊張感の走る所内の雰囲気に気がつき、那智は困惑した表情で身を小さくした。 その居心地の悪い空気を破るように、まどかが声を上げた。 「那智さんは私と初めて会った時もそう言ったのよね」 「まどかさんも?」 人数分のお茶をトレイにのせて戻ってきた麻衣の質問に、まどかは微笑みながら頷いた。 「そうなの、レポートにも書いたけど、彼女がわかることは私とナル、それから地名の三つだったのよ」 「ああ、ご友人が聞き取れたというキーワードですね」 安原が相槌を打ち、にっこりと微笑んだ。 「 ケンブリッジ、まどか、オリヴァー・デイヴィス 」 そしてその単語を口にした瞬間。 那智は音を立てて立ち上がり、突如として正面に座るナルに向かって駆け寄った。 「!」 「なっ・・・!」 そして誰もが反応する前に那智は正面のナルに飛び込むようにして抱きついた。 虚を突かれ、硬直したナルの耳元に那智は口を寄せ、ゆっくりと嬉しげに囁いた。
「 I miss you 」
会いたかった。と。 と、同時に食器が割れる派手な音がして、その場にいたメンバーは我に返った。 思わず食器ごとトレイを床に落とした麻衣は慌ててその場にしゃがみこみ、それに応じるようにリンがナルの元に駆け寄り、未だ硬直状態のナルから那智を引き剥がそうと手を伸ばした。 「離れなさい!」 リンの拘束に那智は全身で反抗したが、簡単にナルから引き剥がされ、両手を吊るされるようにしてその場を離れた。 それを確認して、すぐにまどかは那智の側に立ちはだかり、胡乱な瞳を覗き込み、ゆっくりと言葉をかけた。 「 Who are you ? 」 あなたは誰? そう尋ねる簡潔な質問に、もんどりうって暴れていた那智はぴたりと動きを止め、嬉しそうにまどかを見つめると、睦言を囁くようにゆっくりと返事をした。
「 I'm ghost 」
ゆっくりと、噛んで含めるように那智は囁くと、そこからけたたましい勢いで笑い出した。 その様子に真砂子は顔を顰めながらも鋭く声を発した。 「赤毛の・・・・髪の長い女性ですわ!」 一気に集まる視線をもろともせず、真砂子はそのまま続けた。 「自分が亡くなっていることを理解しているのに、悪戯に彼女に憑りつくのはお止めになって!」 一瞬の間の後、那智は真砂子を見つめ、冷やりとするほど禍禍しい笑みを浮かべた。
「 Can you see me ? 」
「きゃぁぁ!」 「真砂子!」 「原さん!?」 そして次の瞬間、真砂子は風のような圧力に振り払われ、応接室の端まで吹き飛ばされた。 慌てて駆け寄る安原の前にジョンが立ちふさがり、那智の視線から真砂子を遮ると、ジョンは素早く十字を切った。 「我は汝、呪われた不純極まる霊、悪意の元凶、犯罪の本質・・・・」 しかしジョンが聖書の一説を唱え終える前に、那智は酷く耳障りな笑い声を上げた。 その様子に、ジョンは瞬時に祈りの言葉を日本語から英語に戻し、再度聖書を唱え始めたが、今度は那智は唐突に膝を落とし、気を失った。 「イン・プリンシピオ」 構わず、ジョンは最後まで聖書を唱え、気を失った那智のもとに駆け寄り、手にした十字架を那智の首にかけようとしたが、その手は激しい静電気のようなものによって弾かれた。 「・・・っっ」 弾かれた十字架はむなしく床を転がり、その先でひび割れた。 その様子を無言で見詰めるメンバーの中で、安原に支えられて何とか体勢を立て直した真砂子が冷たく言い放った。 「無駄ですわ」 こほりと、咳き込み、人形のような顔を顰めつつ、真砂子はひとつ息を吐いた。 「彼女はまだ山上さんの中にいます。体の奥深くに隠れただけですもの」
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