![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
遠すぎる背中 |
第7話 女の臭い |
|
|
「駄目ですわ」 「全然だめ」
狭い神社の境内で、合計3台のカメラに囲まれ、那智の父親、山上秀春が酷く緊張した面持ちで祈祷を行った。 しかしその直後、その場に居合わせていた真砂子と、神社の周辺を見回ってから遅れて現場に訪れた綾子は、くしくも同義語の感想を同時に口にした。 「山上さんのお父様のお祓いでは、彼女はびくともしませんわ。本当にとても上手に山上さんの影に隠れてらっしゃいます」 「山の神様だっていうから、期待して見てみたけど、期待外れだったわ。全滅。神社の形態は残っているけど、随分長い間形だけになっていたんじゃない?信仰が生きていたとは思えない衰退っぷりよ。生きてておすがりできそうな樹なんて一本もなかったわ。裏山も見たけど、新興住宅地になって山切り開かれているから、もう見る影もなかったわね。ちょっと山に入った先に古木はあったけど、あれも弱り切っていて話もできない状態だったもの」 あけすけな真砂子と綾子の感想に、秀春は自分の醜態を指摘されたように小さくなった。
住宅地に程近い低い山の陰に那智の実家はあった。 古くからの家で、平屋建てのその建物は部屋数15を数え、老朽化が進んでいるとはいえ、その敷地面積だけは相当のものだった。 秀春の両親と妻は既に亡く、一人娘の那智は社会人になった際に独立した為、その広い屋敷に現在は秀春が一人で住み、敷地正面左側の細く切り立った山道を5分ほど登った先にある山神神社の神主を務めていた。 細い山道には、現世とあの世を区切る鳥居が3箇所に配置され、それをくぐりながら登った先に山神神社はあった。 後ろにひかえる日輪山を祭るその神社は、かつては春と秋、それと年越しの晩は地元住民と共に祈祷をしたものだが、20数年前から始まった宅地開発により、昔ながらのコミュニティは崩壊、その後度重なる土地の売買の結果、今では土地の者でもこの神社の存在を知らない世代が多くなっているのが現状だった。 自然、山の神に捧げる祈祷は年始の一回のみに省略され、山道は歩く者も少なく、年をおうごとに雑草が元々細い道を被っていった。 さらに神社自体も老朽化が激しく、後は自然に朽ち果てるのを待っている。 それが山神神社の実情だった。 神主である秀春にしたところで本業は学校教員で、迷信深い住民が稀に厄払いに訪れる時と随分簡素化した年始の祈祷の時以外は、袴姿になることすらない。さらにそれがどのような効果であるのか、秀春には実際のところぴんときていなかった。 しかし何故か生まれついて霊感の鋭い娘には今まで厄落としの効果があった。 それが唯一、ここがまだ神聖な場所で、自分の副業が神職である証であった。 それを有名な霊能者タレントと、派手な外見をした自称巫女の双方にダメ出しをされたのだ。 元の自信がないために、秀春は傍目にもはっきりとわかるほど落ち込んだ。 しかしそんな秀春の落胆を他所に、調査責任者のナルは淡々と真砂子に尋ねた。 「原さん、ここで山上さんに憑いている霊と話はできますか?」 ナルの問いかけに、真砂子はうつろな眼を凝らしたが、すぐに顔色を曇らせ、口元を着物の袖口で被った。 「駄目です。ちっとも出ていらっしゃいません」 「どういうこと?真砂子ちゃん」 まどかの質問にも、真砂子は困惑した表情のままため息を落とした。 「何だか、随分慣れた様子で隠れてらっしゃいますの」 「那智さんに慣れたってこと?」 「いいえ、違いますわ。そうですわね、自分が霊体であることに慣れているというのかしら?霊体である自分の形をよくわかってらっしゃって、まるで遊んでいるみたいですの・・・あたくしに関してはすっかり警戒されていて、先に見えた姿すら今はすっかり隠しきっていて、今は何も見えませんもの。祈祷の間中だって、那智さんの影にすっぽり隠れて、祝詞も撥ね退けて届いていない様子です」 真砂子はそう言うと、ぼんやりと空中を眺めていた那智の側に座り込んだ。 「こんなに山上さんの体を使って・・・・」 お辛いでしょう? 尋ねられ、那智はふと我に返った。 そして自分を心配そうに覗き込む美少女に気がつき、あわててかぶりを振った。 「ごめんなさい・・・何だかぼんやりしていて・・・」 「無理もありませんわ」 真砂子はゆっくりと頷きながら、励ますように那智の背中に手を伸ばした。しかし、伸ばされた手はパチリと音を立てて爆ぜた静電気によって弾かれた。その衝撃に真砂子は伸ばしかけた手を引っ込めた。 「本当に嫌われましたこと」 真砂子は苦笑しつつ立ち上がり、側で電源ケーブルを抱えスタンバイしていた麻衣の方を振り返った。 「麻衣はいかがですの?」 真砂子に促され、麻衣は小さく首を傾げた。 鳶色の瞳が探るように那智の顔を見据え、そしてふっと逸らされる。 「麻衣?」 真砂子の問いに麻衣は苦笑し、それから全てを見渡す場所で腕を組んだままの体勢で立っている上司を眺めた。 「女の人がいる」 「・・・」 「この人はナルを見ている」 麻衣は思案しながらそれだけ言うと、後はわからないと不自然に俯いた。
画期的な効果がみられなかったこともあり、一行は山上神社の社を出て、細い山道を下って山上家に引き返した。 部屋数15からなる山上家は、滝川が言うように古いけれども広く大きな屋敷だった。 広い玄関をくぐると、右手に茶の間と土間作りの台所があり、その奥にかつて秀春の自室が二間、正面の廊下を挟んで、右奥には多目的な和室が二部屋と浴室、左奥には中庭を囲むようにして、神棚のある部屋と広い八畳間が三部屋連なり、更にその奥に離れと呼ばれる資料庫代わりの部屋が三部屋、那智の自室が一部屋、その途中の廊下に今は物置になっている部屋が一つあった。 今回、SPR一行はそのうち、水周りに程近い二部屋を宿泊場所とし、廊下向かいの二部屋をベースとして借り受けた。 「昔はここで葬式とか結婚式とかもあげた名残でこんなに広いんだよ。だったよな、おじさん」 勝手知ったる他人の家よろしく、部屋の配分を決めたのは滝川で、効果のなかった祈祷に落ち込む秀春の肩をばしばしと叩きながら、やけに陽気に笑いかけた。 「そうだけども、滝川君は本当によく覚えているなぁ」 気が弱いなりに嬉しそうに相互を崩す秀春に、滝川はにんまりと微笑んだ。 「まぁね、昔はほとんど毎日遊びに来てたもん。その都度聞かされていたら嫌でも覚えるよ」 「あらぁ、破戒僧。本当に仲が良かったのね。あんたの思い込みかと思っていたわ」 勢いよく投げかけられる綾子の嫌味にも、滝川は機嫌よく笑っていなした。 「本当だもんねぇ、おじさんは俺に酒の味を教えてくれた第一人者だからな。ほれ、綾子。こっち来いよ」 滝川はそう言うが早いか、茶の間と続きになっている台所に降り、手前の古い引き戸を開けた。 立て付けの悪い嵌め込み式の戸棚の奥を覗き込み、綾子はそこにずらりと並んだ一升瓶を見つけ破顔した。 「あらぁ、おじ様!いい趣味なさってらっしゃるのね」 「・・・いや、お恥ずかしい」 がらりと掌を返したような綾子の態度にも気を悪くする様子もなく、秀春は頭を掻きながらも嬉しそうに日本酒の銘柄を綾子に説明し始めた。そしてそのまま宴会でも始めそうな勢い達した三人に、背後から不機嫌そうな怒声が飛んだ。 「もぅ、何やっているのかと思ったら!ぼーさん!!!!綾子!!!仕事中なんだから、お酒なんて駄目だよ」 「あ、あら」 「麻衣・・・」 「もうぅ、今那智さんがしんどいんだからね!やることなくても緊張感なくさないでよ!」 プリプリと怒る麻衣に、滝川は眉根を下げて手をこすった。 「悪い悪い。俺がそそのかしちまったんだよ」 「ぼーさんっっ」 「ほいほい。んで、どうするって」 困ったように顔を曇らせる滝川を見上げ、麻衣は赤かった顔をいくらか落ち着かせ、息を吐いた。 「これから一息ついてから、ベースの隣でジョンにもう一回落せるかやってもらうって、今リンさんがお清めしてる。綾子とぼーさんも一回ベースに戻って欲しいって」 「それで麻衣はお茶汲みか」 「そうだよ」 麻衣はそれだけ言うと、秀春に台所の借用を申し出、秀春が頷くと持参した茶葉を広げて人数分のお茶の準備を始めた。 秀春が茶器を準備してくれるのに恐縮しつつ、麻衣がお茶を入れ始めると、滝川と綾子に入れ替わるようにして真砂子が麻衣を手伝うと台所にやってきた。 「一人でできるよ?」 麻衣が遠まわしに真砂子の手伝いを拒むと、真砂子はまるで聞こえなかったかのようにそれを無視して麻衣の脇に立ち、秀春に聞かれないように小さく囁いた。 「少し、落ち着かれてはいかがですの?」 その声に、麻衣がぴくりと動きを止めると、真砂子は茶器を拭く手を休めずに続けた。 「お顔から目を逸らすなんて、いつも真っ先に依頼者に同情する麻衣らしくもないですわ」 見る間に頬を朱に染め上げる麻衣を見て、真砂子はため息を落した。 そのため息に麻衣はうにゅぅんと情けない表情を浮かべ、肩を落した。 「バレバレ?」 「当然ですわ」 「うぅぅぅ」 「仕事に私情は持ち込まないんではありませんでしたの?」 「そうなんだけどさぁ・・・」 麻衣は動揺を隠すように両手を布巾で拭い、深呼吸をしてから真砂子が並べた茶器にお茶を注いだ。 「那智さんに憑依霊が出た時から、なぁんか背中がざわざわして落ち着かないの」 「はっきり面白くないって仰ったら如何ですの?」 「だって、那智さんが悪いわけじゃないもん。その憑依霊が嫌なんだもん」 「今の麻衣はごっちゃにしてますでしょう?」 さらりと切れ味のいいナイフのように空をさす真砂子の指摘に、麻衣はさらに情けない表情を浮かべ、手にしたポットを置いた。 「・・・あああ、そうだよね。本当にプロ失格!」 「まだ半人前ですものね」 「もうっっなんだよ!自分ばっかり大丈夫そうな顔してさ!真砂子だって、誰かが安原さんにアプローチしてきたら動揺するでしょう?」 噛み付くような麻衣に、真砂子はさぁ?っと首を傾げた。 「仕事と割り切れれば大丈夫そうな気もしますけど、確かにあそこまで露骨だとそうとは言い切れないかもしれませんわね」 「でしょう!?」 「ナルに対してあそこまで露骨に恋愛オーラ出せるなんて、ある意味勇者ですわね」 「本当。まるで昔の真砂子を見てるみたいだよ」 麻衣の何気ない暴言に、真砂子は途端に表情を険しくして、口元を被った。 「あたくしはあそこまで恥知らずじゃございませんでしたわ」 「そうかなぁ…」 にひっと笑う麻衣を真砂子は嫌そうに小突き、それからふと真顔に戻って問い掛けた。 「その話はひとまず置いておいて、麻衣は那智さんに憑いている霊について、後は何か感じませんの?」 しかし麻衣はその質問には自信なさ気に首を横に振った。 「私情がまじっているかもしれないけど、本当によくわからない。女の人なんだなぁってことはびしびし伝わってくるんだけど、それも見えるっていうよりは臭いみたいな感じなんだもん」 麻衣の表現に真砂子はああ、と合点がいったように頷いた。 「確かに " 女臭い " って感じですわね」
麻衣と真砂子がベースに戻ると、その場は何だか居たたまれないような空気に満ちていた。 不機嫌を隠そうとしないナルに困惑顔の面々、さらにはまどかまでもが当惑したような顔をしていた。 「どうしたの?」 ドア側に立っていた安原に麻衣が恐る恐る尋ねると、安原は苦笑気味に答えた。 「ブラウンさんの聖水が全部捨てられていたんですよ」 「え?」 一段高くなった麻衣の声に、ジョンが顔を向け、申し訳なさそうに項垂れた。 「すんまへん・・・正装に着替えよ思うて、控え室におったんですが、ちょっと目を離した隙に手持ちの分はこぼれてて、予備の分も捨てられてはったんです」 「しかもロザリオまで紛失」 「あ、ロザリオはまだ手元に1個ありますよってに」 「けれど、それでは前回と同じ状況になるな」 「へぇ・・・そうなりますです」 ナルの涼やかな声にジョンは身を小さくしぼませ、それからすぐに顔を上げた。 「悪霊との対峙は気持ちの問題が最大のポイントであるはずでっしゃろが、これでは少し分が悪ぅ思います。よければ、これからすぐ僕は一旦帰って準備してきます。急いで戻れば明日の夕方には戻れる思います。いかがでしゃっろか?」 ジョンの提案にナルが答えを出すより早く、ドア側の安原が手を上げた。 「でしたら僕が同行します。車でしたら昼過ぎには間に合うと思いますから」 2人の意見に、ナルは頬杖をついたまま呟いた。 「相手はまるで生きている人間のように知恵が回るとみえる」 そこでナルは闇色の瞳を更に深くし、目を細めた。 「では、ジョンと安原さんは早急に出発して下さい。 ―――麻衣、まどか」 「なぁに?」 「はい!」 「2人はは那智さんから目を離すな。二十四時間体勢で監視下におけ」 「もちろんよ」 「え?」 麻衣の調子っぱずれの返答にナルは心底嫌そうに顔を顰めた。 「聖水にロザリオ。これは明らかにジョンによる除霊を嫌がっていることを指すだろう。そしてこの中でそんなことをするのは、ターゲットに取り憑かれている那智さん以外にはいない」 ナルはそれだけ言うと顎を持ち上げ、それに応じるようにリンが一本のテープを再生させた。 そこにはベース前の廊下が写しだされ、男性控え室をノックする那智の姿が映りこんでいた。 ややあってそのドアからはジョンが顔を出し、那智に促され、ジョンはすいっとカメラのフレーム外に移動した。 「滝川さんが呼んでいるからと聞いたんです」 姿を消した自分に説明をつけるようにジョンが呟いた。 そのジョンがいなくなった瞬間に、那智はそのドアの先に姿を消し、すぐにまた部屋から廊下に飛び出してきた。 「この間に聖水を捨てられて、ロザリオを奪われた可能性が高いってわけね」 「けど、那智にその自覚はなかったよな」 「それだけ憑依状態が進んでいるっということなのかもしれないわね」 映し出されたディスプレイを覗き込むよにして呟いた滝川と綾子を一瞥し、ナルは麻衣に向き直った。 「ということだ、わかったな?」 「・・・う、ん」 ナルはそこで手をついたテーブルを指で二度叩き、浮き足立つ面々の視線を集中させた。 「今回の霊は嫌に理路整然とした行動を取る。筋道が立ち過ぎていて、原さんが言うようにどこか慣れを感じさせるくらいだ。しかも慎重で、底が知れない。だが、逆に今回の行動で、彼女がジョンの除霊を嫌がっていることだけははっきりした」 ナルはそれだけ言うと、薄く笑った。 「麻衣、まどか、原さんはできる限りの情報収集を。今の状態がどんなものか引きずり出してはっきりさせるんだ。その後、万全の状態で除霊を行う」
新しいデータパターンと思えば腹も立たない。
ナルはそれだけ告げると、自分はさっさとリンの脇でカメラチェックを始め、そのままの体勢で固まるメンバーに気がつくと、面倒そうに手で払った。曰く、早く動け、と。 そのあまりに横暴な態度に麻衣とまどかが同時に怒声を張り上げようとするのを、滝川と安原は俊敏に制止し、そのままベースをずりずりと後退し、限りなく不毛な言い争いを何とか水際でせき止めた。
|
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |