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遠すぎる背中 |
第10話 今、いくつ? |
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その頃私は17歳で、少し浮かれた片思いをしていた。
「那智先輩!」
帰宅途中の歩道橋で、呼ばれた名前に振り返ると、そこには息せき切って駆け寄ってくる その可愛らしい様子に、一緒に帰ろうとしていた友人らは手を振って笑った。 「 「那智、息子が追っかけてくるよ」 「え?ああ、なんだ、 「"なんだ"なんて、冷たいなぁ那智」 「かわいいよねぇ、 「本当。ちょっと意外な組み合わせだけど、仲いいよねぇ」 友人達はそこで示し合わせたように笑いあい、ぽんぽんと、互いに那智の肩を叩いた。 「じゃぁ、私らはこのまま駅前寄るからさ、那智は 「え?じゃぁ、私も駅前行くよ」 「何言ってんの。せっかく息子がおっかけてきてるのよ」 「そうそう、かわいい息子がママに懐いてくれる期間は短いのよ!大切にしなくちゃ」 「邪魔したら、私らが息子に恨まれちゃう」 「別の人間には恨まれるかもしれないけどね」 そうして、友人らは高い声で盛んに笑いながら一足先に歩道橋を渡りきり、駅前に向かって去っていった。 取り残されて、那智がぽつねんと立ち尽くしていると、階段を駆け上がる元気のいい足音がして、件の息子が顔を出した。 「先輩!」 「 「あれ?他の人たちは?」 キョロキョロと周囲を見渡す 「何か駅前行くって先行っちゃった」 「あ、そうなん」
「 「那智先輩ん家?行ってもいいなら行く」 「それじゃぁ、一緒に帰ろうか」 「うん」 尻尾を振りださんばかりの 「あ、やっぱ止めとく!」 「?」 態度の急変に、那智が首を傾げると、 「何、何か用事あった?」 「ううん、そういうんじゃないけどさ。滝川先輩に怒られるから」 「法生?」 那智が首を傾げると、 「あのね、那智先輩が家に一人の時は、仮にも男と女なんだから、一人で遊びに行っちゃ駄目だって言うんだよね」 「・・・」 「だから駄目」 「・・・何それ」 「滝川先輩の訓示」 「何それ、おやじ臭!!!」 那智が大声を上げると、 「何か、言うことがイチイチ年寄り臭いんだよねぇ、あの人!」 「もう信じられない!ロッカーとか言う割りにそう言うトコ変に固いんだから!」 「本当に、何か痛々しいほどにモラリストなトコあるんだよね!」 「モ・・・モラリスト・・・」 息も絶え絶えになりながら、那智と 「馬鹿みたいね」 「うん」 「私と しかし、那智のセリフに 「そんなことないんじゃない?」 「え?」 「滝川先輩は少なくともスケベなこと考えてるでしょう」 やだぁと那智が更に笑うと、 「那智先輩だって、そんな滝川先輩のことが好きなんでしょう?」 思わず固まった那智に、 「何、バレていないとでも思ってたの?」 「 「もう、下手な言い訳しないでいいよ。俺と那智先輩の仲じゃない」 今更よ。と、 「 「大丈夫だよ〜」 「嫌だ。危ないってば!降りなさい!!」 必死な形相の那智に、 「危ないってば! 「だったら、正直に言う〜」 「 「ほら、ちゃんと言わないと、あれで滝川先輩中々モテるんだよ?うかうかしてると他の女子に取られちゃうよ」 「 怖くて、とうとう泣き出した那智に、 「ご・・・・ごめんなさい」 「もう!やだ! 「ごめん、調子に乗りすぎた。謝る!謝るから・・・・ええぇ、マジ勘弁して。泣かないでよぉぉ」 まいったなぁと本気で弱り果てている 恐怖で震える手には力が入らず、その勢いは情けないほどのものだったが、 その顔を睨み返し、那智は踵を返して歩き始めた。 「那智先輩!」 「うるさい!」 「ごめんってば!」 煩くすがってくる そしてその途中で、道路向かいの校舎裏門からにぎやかな集団が出てくるのに気がついた。 その華やかな集団の中央には、一際目立つ茶色い頭が見えた。 「滝川先輩・・・・かな?」 見慣れたその頭に目をこらし、 その姿を眺めながら、那智はぽつりと呟いた。 「法生は、私と一緒にいるのが楽しいんじゃないだよ」 おひさまのように明るく笑いかけてくる笑顔は、まるで自分だけに向けられているように勘違いすることがある。 でも、それは手前勝手な思い込みで、その人は誰とでも仲良くできて、誰にでも優しくて、どこででもああして楽しげに笑う。 少しばかり特別扱いをされるのは、それは自分がその人と同じものを見ることがあるからだ。 けれど、他人に見えないものが見える目を持っていても、それだけに煩わされることのないその強さに、魅力を感じるのは何も見えないものを見る自分達だけではない。明る過ぎる髪の色同様に明るいその空気は、あっという間に周囲を巻き込んで、虜にする。 「法生は、 自分だけを見て欲しいと、願わないわけではないが、それはあまりに大それた願い。あまりに贅沢な望みだ。 「それに、私もそれがいい」 それくらいがいい。 感傷的な那智の小さな囁きに、 「え――、何かそれって嘘臭い」 那智が顔を顰めつつ振り返ると、
「臆病者」 怖いもの知らずのあからさまな物言いに、那智は毒気を抜かれて苦笑した。 「余計なお世話」 「そんなことでいいのかねぇ、滝川先輩"修行"に行っちゃうんだよ?」 「私だって来春には卒業するもん」 「バラバラになっちゃうじゃん」 「そんなものでしょう?」 年下の
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
那智が目を覚ますと、部屋は既に明るかった。 高い位置さら差し込む朝陽の予想外の明るさに、那智が驚いて飛び起きると、視線の先、かつて学習机として那智が使っていたデスクの椅子に腰をかけて資料を読んでいたまどかと視線が合った。 「おはよう、目が醒めた?」 「お・・・おはようございます」 ふんわりと柔和に微笑む笑顔につられて笑顔を作りつつ、慌てて周囲を見渡すと、那智の左右に敷かれた布団は既に上げられていて、横に寝ていたはずの麻衣の姿は既になかった。 「今朝の具合はどう?気持ち悪かったりしない?」 「え・・・ええ、大丈夫です。何だか段々負担には感じなくなっているから」 「そう」 無条件に人を落ち着かせる笑顔の前で、那智は深呼吸をし、布団から這い出した。 手早く着替えをすませると、まどかはそれを待ち構えるように立ち上がって言った。 「今日にはちゃんと落せるといいわね」 「そうですね」 「でね、考えたんだけど、那智さん、一回交霊会を開いてみてもいいかしら?」 「交霊会?」 短い髪にブラシをかけながら那智が振り返ると、まどかはとがった顎に人差し指を当て、小さく首を傾げた。 「ブラウンさんの後でいいんだけど、那智さんの中にいる誰かと直接お話してみるの。もしも、ブラウンさんでも落せないようだったら、原因を探ってみないことには、これ以上の進展は望めないでしょう?」 洗面所に向かう那智に付き添いながら、まどかは交霊会の簡単な手順を説明した。 那智は慣れた手順で化粧をしながら、鏡越しにまどかを見遣り、僅かに眉根を寄せた。 「それで・・・私は乗っ取られたりしないんでしょうか?」 「交霊会の最中は身体を相手に貸すことになるわ」 「そのままってことには」 「ならないように万全の準備はするけど、可能性がゼロってわけではないわ。だから無理強いはしない」 事実をありのまま話すまどかに、那智は苦笑しながら頷いた。 「即答は難しいですね」 「そうね」 「よく考えてからお答えします」 「ええ、もちろんそれでいいわ。まずはブラウンさんのお祓いが先だし」 結果を知りたいのは山々だが、自分のこととなるとそうは簡単に頷けない。 臆病と言われればそれまでだが、それは身を守る大人の分別とも言える。 特に恥かしいことではない。 念じるようにそう思い、那智が化粧ポーチを閉じると、鏡の奥でまどかがやわらかく微笑んだ。 何もかもをわかって、それでも笑顔を浮かべる。 そう感じるその穏やかな態度に、那智は安堵して笑顔を作った。
「麻衣ちゃんは先にキッチンに行ってるわ。松崎さん達と朝食作っているはずよ」
松崎さんはお料理上手なのよ。と、まどかは嬉しそうに微笑み、恐縮する那智の背を押し茶の間に向かった。 するとその先の廊下のつきあたりで、那智とまどかは大量のテープを抱えた滝川と鉢合わせした。 「おう」 「あら、おはよう滝川さん」 「おはよう、まどか嬢、那智」 「おはよう」 「どうしたの?これから朝食にするんじゃなかったかしら?」 まどかが尋ねると、滝川はへらりと力なく苦笑した。 「もうね・・・朝からお宅のお坊ちゃまにこき使われているのでございますよ」 「あら、それテープ?」 「念のために何台か設置したでしょう。今それの交換してきたとこ」 「それを滝川さんに?もう、ナルったら」 憤慨するまどかに、滝川は苦笑した。 「まぁ今朝はしょうがねぇ、俺もちょっとは悪かったから」 「?」 「まま、いいってこよと。大したことじゃねぇから、さっさと戻ろうぜ。まどか嬢、綾子の飯久しぶりでしょう?」 まどかは不服そうに頬を膨らませてはいたが、滝川の言葉に笑みを取り戻し、那智の腕を組んだ。 「そうなのよねぇ、うふ、楽しみ。那智さんも期待していいわよ?」 「朝ご飯?」 「まぁ、そこそこ食えるぜ」 3人が揃って廊下を曲がると、タイミングよく茶の間から飛び出してきた麻衣と顔をあわせた。 麻衣はそれぞれの顔を見ると、ぱっと明るい笑顔を咲かせた。 「あ、那智さん、おはようございます!」 「おはようございます。谷山さん」 「ご飯できたらから呼びに行こうと思ってたんですよ。ちょうど良かったです」 明るい朝陽にも負けない笑みを浮かべる麻衣に、那智は昨晩見たことはやはり見間違えではなかったのではないかと思いつつ微笑んだ。 それに比例するように麻衣も笑みを深め、茶の間を指差した。 「せっかくだから、冷めないうちにどうぞ」 「ありがとう。お任せしちゃってごめんね」 「いいんですよ。大人数でおしかけちゃったわけですし」 にっこりと麻衣が笑う横で、まどかはふいに立ち止まった。 「あ!私、その前に預かっていた資料ベースに戻してくるわ。那智さん、先食べてて」 まどかはそこで那智の腕を放し、滝川が抱えていたテープに手を伸ばした。 「一緒にテープも置いてくるから、滝川さんもお先にどうぞ」 「あ、ああ・・・悪りぃな」 「とんでもないわ」 まどかはにっこりと微笑み、資料とテープを片手に廊下奥のベースに向かった。 残された那智と滝川と麻衣はそれを横目に、麻衣に促されるまま茶の間に足を向けた。 そしてすれ違いざまに、滝川が麻衣の頭に手をのせ言った言葉に、那智は瞠目した。
「麻衣、昨日は夜中に悪かったな」
綾子が手塩にかけて用意した朝食は前評判通りに素晴らしく美味しそうで、那智の父、秀春は下手な料亭よりも美味いと絶賛していたが、那智には正直味が分からなかった。 滝川の低い声が脳裏を占め、箸を持ち、並んだ朝食に口をつけはするものの、気ばかり急いて何を食べいるのかすらわからない。 下世話な話だとは思いながらも、どうしても麻衣の首筋に視線がいった。 しかし、細身のぴったりとしたハイネックを着た麻衣の首筋は服と栗色の髪に覆われて、ちらりとも見ることができない。 内心でじれながら、ちらりちらりと麻衣を眺める那智に、隣に座ったまどかが不思議そうに小声で尋ねた。 「どうしたの?」 「え?」 驚いて那智が顔を向けると、まどかは柔和な目元をほころばせた。 「さっきから麻衣ちゃんのことばっかり見てるから、どうかしたのかなぁって思って」 那智は慌てて俯き、言葉を濁した。 「いえ、あの・・・若いなぁって思って」 「へ?」 とっさについて出た言葉に那智は動揺しつつも、あたりさわりのない言い訳をした。 「いや、あの谷山さんが!ほら、こんな暴力的な日の下でもつるつるお肌で羨ましいなって!」 那智が言うと、まどかは那智とそんなに変わらないわ、と、微笑みながらもまぁねぇと唸った。 「麻衣ちゃんは特に、かわいいって言うか、幼い感じがするもんねぇ。化粧っけもないし」 話題が反れ、那智は内心で安堵しながら苦笑した。 「そうですよねぇ、私なんかすっぴんでなんか人前出れませんよ」 「そんなことないでしょう」 那智の言い逃れに、まどかはさして疑問にも思わず受け流し、よそわれた味噌汁に口をつけた。 「でも、ああ見えて麻衣ちゃん大学生なのよ?」 「そうなんですか?」 那智が驚いて目をむくと、まどかは頷きながら、お茶汲みで立ち回っていた麻衣を手を上げて呼んだ。 「麻衣ちゃん」 「はぁい、まどかさんもお茶?」 「ううん、大丈夫、ありがとう。でも麻衣ちゃんもそろそろ席についてゆっくり食べて」 「はい!ありがとうございます」 嬉しそうな笑みを浮かべ、麻衣はまどかに促されるまま隣の席に腰をおろし、いただきます!と元気よく挨拶すると、箸を取った。 その様子を微笑ましく眺めながら、まどかは麻衣に尋ねた。 「ちなみに麻衣ちゃん、今、いくつ?」 「へ?年ですか?・・・今は二十歳ですけど」 「そうなのよねぇ・・・もう二十歳なのよね」 まどかの感想に、麻衣はぷくりと頬を膨らませ言った。 「子どもっぽいってよく言われるけど、ちゃんと成人してますからね!」 そのしぐさが可愛らしくて、まどかは微笑しながら、同意を求めるように那智にウィンクした。 その笑みに、那智は辛うじて笑い返した。
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