すぎる背中

第11話  嘘つきなあの子

 

見えるものを言うと、初め、人は怪訝な顔をした。

それから気味が悪いと言い、嘘をつくなと叱り、調子に乗るなと怒りだす。

時にそれが霊感と呼ばれるようなものが見せるものだと分かると、周囲の人はさらに様々な表情を見せた。

得体の知れないものに対する嫌悪の眼差し。

胡散臭いと疑われる、猜疑の眼差し。

それから、まるで神様を見るような羨望の眼差し。

そんな視線にさらされて、そのまま気にせず成長できるわけがない。

悪意には恐怖を感じ、羨望には優越感を感じ、意地になり、得意になり、時には絶望しながら、私は成長期を過ごした。

自分にしか見えないものを見つめて、幾晩も、様々に現われるありとあらゆる恐怖に一人で耐えながら、長い孤独な時を過ごした。

人は不思議なもので、そんな辛い体験も回を重ねれば次第に慣れていく。

私はその"慣れ"を"強さ"と勘違いして成長していった。

15歳で出会った、自分と同じように他人に見えないものをよく見通せた彼は、そんな私を見抜いて言った。

 

「 鈍感になることは、強さとは違うよ 」

 

今までの方法が通用するなら、そんな言葉は私には届かなかったはずだ。

余計なものを見て、人より多くの苦労を背負い込んでいるのは私だけだから、と、感情に任せて追いやることができた。

けれど彼は私と同じ性質の持ち主だった。

そしてあろうことか、私には持ち得なかった仲間と、異質である自分達から逃げない強さを持っていた。

高慢になることで、あるいは孤独になることで、自分の異質さから目を逸らそうとしていた私がそんな彼らに敵うはずがない。

だから、彼らの言葉を私は無視できず、聞き流す素振をしながら私はいつも耳をそばだてていた。

彼らの言葉はいつも鋭く私を突き刺した。

逃げ場の無い指摘。

それは大変苦しいものだったけれど、同時にその潔さを私はひどく羨まし思っていた。

彼らは私が初めて出会った、他人に見えないものを見る、自分より賢く、強い人間。

だから私は彼らの仲間になりたいと願った。 

そして、なりえるはずだと信じていた。 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

中庭奥。

資料庫として作られたその3間は、それぞれが薄い壁で仕切られてはいるものの、東西に長細く伸びた室内は全て同じ造りで、蔵のように高い天井に、張り出した梁に板を渡した中二階のようなロフト部がついて、その間は細い梯子が渡されていた。

「へぇぇ、中、こんな風になっていたんですね!」

物珍しげにキョロキョロと中を伺う麻衣に、那智は苦笑しながら中を促した。

「家族は一の間、ニの間、三の間って呼んでいるんだけど、アルバムは最近のものだから、三の間に置いたと思うんだけど・・・」

そして2人が中に入ろうとすると、廊下向こうから高い声がした。

「どうなさったんですの?」

声がした方を見れば、淡い桃色の着物を身につけた真砂子がいぶかしげにこちらに向かって歩いてくるところだった。

怪訝そうな表情をする真砂子に、麻衣はにやにやと笑いながら手招きした。

「真砂子!ね、こっち来てみて!この部屋すごいんだよぉ。ロフト付いてるの!!」

真砂子は呼ばれるがまま資料庫を覗き込み、部屋に対して大した感慨も見せずに首を傾げた。

「こちらが何かありまして?」

「ふふふ、那智さんのね高校時代のアルバムが、ここにあるんだって」

「アルバム?」

「うん。だからこれから2人で一緒に探そうと思って!あ、ナルには言ってきてるから大丈夫だよ」

「アルバムがご入用ですの?」

なんのためにと訝る真砂子に、麻衣はあひるのように唇を尖らせた。

「もう、真砂子ったら鈍いなぁ。那智さんはぼーさんと高校の同級生なんだよ」

「ああ」

麻衣が言わんとしていたことを悟り、真砂子は眉根を下げた。

「高校生の滝川さんが拝見できるということですわね」

「そう!」

一緒に見ちゃって滝川をからかおうと盛り上がる2人に、那智は苦笑しながら資料庫に足を踏み入れた。

古く乾燥した木材に囲まれたそこは、年代物の箪笥がひしめき合い、無秩序にたくさんのものが詰め込まれていた。

かつては地域の人間の集合場所として使用されていた名残で、古い棚の中には五十、六十の単位でそろえられた食器が並び、その奥には大量の巻物、年代不明の置物が所狭しとある様子に、麻衣は素直に感嘆の声を上げた。

「うわぁぁすごいねぇ!」

「たしか・・・私のはこの上に置いておいたはずなんだけど・・・」

「この上ですか?登ってみたい!!」

もの珍しさからハイテンションになる麻衣に、那智は僅かに表情を曇らせた。

「上に上がるには梯子しかないのよ。大丈夫?」

「大丈夫ですよ!運動神経には自信ありです!高いトコも得意だし!」

息巻く麻衣の横で、真砂子は口元を袖で覆いながらぽそりと呟いた。

「お馬鹿と煙は・・・」

「は?真砂子ぉ、何か言った?」

「あら聞こえましたの」

地獄耳は怖いですこと、と毒舌を発揮する真砂子と憤慨する麻衣の掛け合いに、那智は苦笑しながら頷いた。

「じゃぁ、私が先に行くから、谷山さんはその後ついてきて」

麻衣は上機嫌で頷くと、梯子の足元を押さえて、先行く那智を見上げた。

「真砂子は着物だもんね。下探してくれる?」

「もちろんですわ。着物で梯子なんて登れませんもの」

「えへへ、羨ましい?」

子どものようにはしゃぐ麻衣を真砂子は眉間に皺を寄せて煩がり、さっさと登れと追い払った。

 

 

 

ロフトと形容しても、そこは昔の造り。階段を登った先は階下までを遮る柵や壁のない、板がそのまま打ち付けられた中二階だった。

「うわぁぁぁ、登ってみると何か不安定で怖いもんですね」

下を覗き込む麻衣の肩を、那智は慌てて掴んだ。

「ほっっ?」

「あんまり乗り出すと本当に危ないですよ」

「あぁ、はい。すみません」

麻衣と那智のやりとりに真砂子は大仰にため息をつきながら、雑多に並ぶ棚から物色を始めた。

階下を探す真砂子の上で、麻衣と那智は背中を合わせるような格好で、世間話をしながら狭いロフト部に詰め込まれた荷物を物色した。

「そう言えば那智さんお仕事は何をしてるんですか?」

「え?」

「旅行から帰られてそのままお休みしてるでしょう。失礼ですけど、大丈夫なのかなぁと思って」

年下なりにしっかりしている麻衣の質問に、那智は苦笑しつつ答えた。

「大丈夫。ちょうど転職期間中で、休もうと思っていた時期だから」

「あ、そうだったんですか」

「うん。こんな時でもないと長期休暇でヨーロッパにも行けなかいしね」

「そうなんですか。じゃぁ、ある種タイミングが良かったんですねぇって、こんな言い方もないですけど」

「まぁ・・・そうなるかもね。私、本職は薬剤師なのよ。休みは比較的取れる方だけど、ここまで長期はさすがに無理だったわ」

那智が言うと、麻衣は素直に感嘆の声を上げた。

「わ、いいなぁ!那智さん手に職があるんですね」

大学生と言う割には現実的なもの言いをする麻衣に、那智は小さく笑いながら頷いた。

「まぁ、幸いにも今のところ職には困らないですんでるかな?」

「同い年なのにぼーさんとはえらい違いですね!すごいなぁ」

麻衣の言葉に、那智はふと手を休め麻衣の方を振り返った。

「そう言えば、ゆっくり話する時間なくて聞いてなかったけど、法生って今何やってるの?高野山は剃髪じゃなかったかしら?」

那智の質問に、麻衣は手を休めることなく頷き、答えた。

「あぁ・・・ぼーさんは、厳密に言えばぼーさんじゃないんですよ」

「え?」

「今の本職はスタジオミュージシャンで、副業で拝み屋やっているんです。SPRの仕事はその一環なんですよ」

意外過ぎる麻衣の言葉に、那智は完全に動きを止め、麻衣の背中を見た。

「高校卒業してから、高野山に修行に行ったもんだと思ってたんだけど」

かすれるような声に、麻衣はああ、と小さく頷いた。

「それはちゃんと行ってたみたいですよ。だから今拝み屋なんかもできるわけですからね。でも途中で山を下りたんです」

麻衣は静かにそう言うと、那智の方を振り仰ぎ、穏やかに微笑んだ。

 

「ぼーさんも色々あったみたいです。本人もそのへんの話はしたがらないから・・・詳しく聞きたいなら、本人に聞いてあげて下さい」 

 

何もかもを知っていてそうするような静かな声に、那智は動揺して思わずその場に立ち上がり、驚いて自分を見上げる麻衣に取り繕うように上の段に重ねられた木箱に手を伸ばした。

乾いた木箱のささくれに、汗ばんだ手がはり付いた。

那智の行動を麻衣はさほど不思議に思うことはなく、それからすぐに背中を向けて、物色中だった行李の底をあさった。

 

―――― ほら、あの子にキスマークをつけたのはやっぱり法生だったのよ。

 

高い声が那智の内部で勝ち誇ったようにこだました。

しかし、今の那智には昨夜のようにその声に反抗する覇気がなかった。

昨晩、麻衣は確かに首筋にキスマークをつけて帰ってきたのだ。そして、今朝になって法生は麻衣に「夜中に悪かった」と言ったのだ。

それだけでも、2人が付き合って、キスマークをつけるような間柄という証明には十分だ。

その上、今の彼女の表情は特別に親しい者がかもし出すそれだった。 

 

―――― 邪魔な子。 

 

高い声は那智の中でうごめく醜悪な感情を的確に突いた。

そのあまりの正確さに、心臓が跳ね上がる。その苦々しい感触に那智は眉根を寄せ、辛うじて言い訳した。

仕方がない。私と法生はもうずっと前に会えなくなっていたんだから。

  

―――― 仕方がない? 

 

那智の言い訳に、高い声は嘲笑を含んだ笑いを漂わせた。

  

―――― 嘘ばっかり。

 

その時、不意に背後から麻衣の明るい歓声が上がった。 

「あ!那智さん、アルバムってこれじゃないですか?」

振り返れば、花のように破顔する麻衣の手元には、深い緑色のアルバムが握られていた。 

それは確かに幸せな片思いをしてた高校時代に撮りためた写真が詰め込まれたアルバムだった。 

 

 

―――― でも、あの時はあなたが確かに "特別" だったじゃない ! 

―――― 駄目になったのは自分のせいじゃないと、未だに引きずっているんでしょう?

―――― 法生に再会して、運命だと喜んだんじゃないの?!

―――― あの "特別だった自分" に戻りたくてたまらないんでしょう!!!

―――― こんな女に法生が取られるなんて、吐き気がするほど嫌でしょう!!!

―――― 自分の方がよっぽど法生にぴったりだって思っているんでしょう!!!

  

 

マシンガンのように叩き付けられる怒声に、ぐらり、と那智の視界が歪んだ。

そのまま暗く回転していく視界の中で、那智は赤い髪をした女を見つけた

そして、その下卑た笑みを目にして、那智はあまりの禍禍しさに息をつまらせた。

女はぐるぐるとまるで動物の唸り声のように喉を鳴らし、甲高い声でげらげらと笑った。