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遠すぎる背中 |
第12話 ゴーストについて |
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派手な音と女性の悲鳴が響いた。 弾かれたように音のした場所に駆けつけたSPRメンバーは、物置にしては高さのある資料庫で、散乱する荷物の中に蹲る真砂子を見つけた。 「真砂子!」 一番に駆けつけた滝川が荷物を掻き分け近付くと、真砂子は床に這いつくばった姿勢のまま、すぐに手を出そうとする滝川を制した。 「あたくしは大丈夫ですわ。それよりも二階の那智さんと麻衣を見てきて下さいませ」 「え?」 「梯子を登った上ですわ。麻衣と那智さんがそこで探し物をしておりましたの。そうしたら突然那智さんが気を失って倒れられて、麻衣も一緒に巻き込まれて倒れたんですわ。その時上から荷物が落ちてきて、あたくしはそれにぶつかっただけですもの。那智さんがどうされたのか・・・早く確認して下さいませ!」 真砂子の悲鳴のような声に背を押され、滝川はすぐさま脇に立てかけてあった梯子を上り、狭いロフト部分に折り重なるようにして倒れ込んでいる那智と麻衣を見つけた。 「那智!麻衣!」 強度を心配して、滝川は梯子にすがったまま手前に倒れこんだ麻衣とその上に重なるようにして倒れこんだ那智の両方の肩を揺すったが、2人はぴくりとも動こうとはしなかった。慌てて喉元に手を当てるとそこは規則正しい脈があり、口元からは呼吸音がした。そこで滝川は胸を撫で下ろし、階下を見下ろした。階下では遅れて駆けつけたまどかと綾子が真砂子を抱きかかえようとしていた。 「大丈夫だ。2人とも気を失っているだけだ」 滝川の報告に真砂子はほっと息をついたが、すぐに床に足をつくや顔を顰めて声を上げた。 「痛っっ」 「原さん?」 「いやだ真砂子、あんた捻挫したんじゃない?見せてみなさい!」 足首に手を伸ばしかけた綾子を真砂子は思わず叩きつけるように振り払い、そのまま耐えるように俯いた。 「たいしたことございませんわ」 「馬鹿ね、ここで意地を張っても仕方がないでしょう?病院へ行って念のためレントゲンを撮った方がいいわ」 「そうよ・・・ああ、リン!原さんを運んでくれる?病院へ行きましょう」 まどかはベースから駆けつけたナルとリンを見るやそう言い放ち、梯子の上を見上げた。 「そっちの2人も病院へ連れて行った方がいいかしら?」 「失神しているだけに見えるけど、すげぇ音だったしな。目ぇ覚まして、気分が悪いようだったら連れて行った方がいいかもな」 「それじゃぁ、まずは2人を降ろさないとね」 「担げば降ろせないことはないと思うけどな・・・しんどそうだなぁこの梯子」 狭い間口をくぐり、リンは梯子に腰をかけたまま唸る滝川を見上げ、無表情で声をかけた。 「1人ずつ、2人がかりでしたら降ろせるでしょう」 リンの提案に滝川は僅かに顔を顰めたが、その背後に控える冷ややかな闇色の眼光に、降参するように肩を竦めた。
滝川とリンが2人がかりで何とか那智と麻衣を階下に下ろしても、2人は失神したままで目を覚まそうとはしなかった。 そこで那智と麻衣は仮眠室に寝かせ、怪我をした真砂子のみ一足先に病院へ向かうことになった。 「とりあえず、真砂子には私が付き添うわ。坊主、あんたこっちが地元なんだから病院の場所くらいわかるでしょう?車まわしなさいよ」 「へ〜へ〜」 「保険証でしたら持参しておりますわ。あたくしの手荷物の中にございましてよ」 「ああそれなら調度いいわ。今、荷物持ってくるわね」 まどからが忙しく段取りを進める横で、ナルは一人部屋を横切ると、気を失っている麻衣を抱き上げた。 「ちょっとナル!」 協力体制のないナルを咎めるようにまどかは声を上げたが、ナルは振り返ることもなくさっさとその場を立ち去った。 向かう先は仮眠室と分かってはいるものの、そのあまりに唐突な行動にまどかは眉間に皺を寄せた。 「もう、なんなのあの子!」 憤慨するまどかの横で、滝川と綾子、真砂子は顔を見合わせ小さく笑った。 「あれは、まぁねぇ、ナルなら仕方ないんじゃないの」 「あら、どうして?」 「効率第一のナルが那智さんと麻衣を下ろす手伝いをするわけはございませんもの」 「ナルは肉体労働嫌いだしね」 「でも、俺とリンが麻衣を抱き上げたのは面白くないってわけだな」 3人の言い分に、まどかはあきれかえって大声を上げた。 「何なのそれ?他人が触ることだけでも駄目ってこと?まさか、いくらナルでも・・・」 しかし、笑い飛ばそうとしたまどかの視線の先で、無言で那智を担ぎ上げたリンの複雑そうな表情を見咎め、まどかは目を丸くした。 「ちょっと、リン!今の本当?」 「・・・」 「その沈黙は肯定とみなすわよ」 腰に手をあてすごんでも、返事を返そうとしない部下を見上げ、まどかは信じられない。と、うめき、周囲の失笑をかった。
かつて、この悪魔のように優美な容姿をした部下は冷血漢としての名を欲しいままにしていた。
仮眠室に那智と麻衣を寝かせ、ちゃっかりとその場に居残ったその部下を眺め、まどかは内心で感嘆のため息をもらした。 優秀なサイコメトリストにして、破格のPK保持者である前に、優秀な研究者として、ナルはトリックやイカサマについて熟知していた。 加えて真性のミーディアムである双子の兄の能力を従えた彼は、自身が属した団体に関わりのある能力者を片っ端から冷めた視線で観測し、その能力が本物であるか、研究対象に値しないまがものであるかを、どこに遠慮することもなく判断し、イカサマについては容赦なく排除していった。 真理に近付く手法として、極めて合理的な手法だとは言えたが、それは冷酷とも受け取れる裁断だった。 もちろんその傍若無人な態度を好ましく思わない面々も多く、優秀な研究業績を上げているにも関わらず、未だナルの人格に対する評価は決していいものとは言えない。排斥された能力者から恨みを買うことも多々あった。けれど当人はそのような他人の評価は全く気にしていなかった。彼の唯一の血縁者であった双子の兄ですら解剖対象者にするほど、ナルの他人に対する無関心さは徹底していた。 その性格は何があっても変容しないように思われた。 事実、当時から今現在まで、ナルの冷徹なまでの研究への姿勢は少しも変わっていない。 ―――― それがこうも変わるとはねぇ。 まどかは日本支部メンバーのやり取りを思い出し、うっすらと笑みを浮かべた。 彼が恋人として選んだ少女が、彼の中の唯一特別であることも、重々承知している。 それでも、 ゛あの子゛ がと思えば思うほど、笑えてくる。 亡くなってしまった彼の兄が見たら、腹を抱えて大笑いすることだろう。 「まどか」 自分の思考に集中し過ぎて、名前を呼ばれたことに気がつかなかったまどかは、一瞬の間の後、それでも柔和な笑みを浮かべて返事を返した。 「何かしら?」 「さっきからにやにやと気持ち悪い。品性を疑われるぞ」 毒舌も健在。 けれど、それも今はかわいいものにしか見えない。 まどかはこみ上げる笑いを必死に堪えて、にっこりと微笑み首を傾げた。 「嫉妬深い男性にだって品がないわ。しかも女性に嫌われるわよ?」 ぴくりとナルの柳眉がつり上がる。 まどかは更に追求の言葉をかけようと口を開いたが、それが声になる前にナルの視線が動いた。 反射的に視線の先を追うと、先ほどまで気を失っていた那智がぱかりと目を開けていた。 「那智さん」 顔を覗き込みながらまどかが声をかけると、那智はまだぼんやりとした様子のまま視線を転じ、まどかを見上げると不思議そうに瞬きをした。 まどかはゆったりと微笑み、那智の額に掌を押し当てた。 「気分悪かったりしない?那智さん、資料庫で気を失って倒れたのよ。覚えている?」 まどかの囁きに、那智はわずかにうつろな表情のまま視線を彷徨わせたが、すぐに何かを思い出したように頷いた。 そして慌てて起き上がろうと身じろぎし、勢い余ってふらついた身体をまどかが慌てて支えた。 「頭を打っているかもしれないの。無理しないで」 横にさせようと促すまどかを、那智は片手で制して上半身をすっかり起こした。 そこでナルは那智の前に膝を付き、落ちた黒い陰に気がついて顔を上げた那智の顔を覗き込み、端整な顔に感情を滲ませることなく尋ねた。 「何があったんですか?」 耳触りのいいテノール。 その声に焦点の合わなかった那智の瞳は見る間に光を灯し、正面のナルを見上げるとゆっくりと目を細め、幾度か咳払いをした後に囁いた。 「教えましょうか?」 那智は乾いた声でそう言うと、喉の調子を確かめるように再度咳ばらいをした。 まどかが枕もとに置いたミネラルウォーターのペットボトルを手渡すと、那智はそれを奪うように掴み、喉を鳴らして一気に半分まで飲み干し、口元からこぼれた雫を掌で拭った。どこか粗野な印象を受けるその振る舞いを、まどかとナルが厳しい視線で見つめると、那智はその視線に気がついてゆったりと微笑んだ。そしてペットボトルを横に置き、そのまま手を前について、ナルの方にぐっと身体を傾けた。 媚を売る視線に、ナルの表情がすっと冷める。 その様子に那智は満足そうに口元をゆがめ、下半身は横たえたまま、上半身をさらにずるりと前に突き出し、上目使いでナルを見上げた。
「私の話が聞きたいでしょう? Oliver」
オリヴァー。 日本語とは異なる発音で名前を呼んだ瞬間、那智は激しく咳き込んだ。そして目じりに涙を浮かべながら、悪態をついた。 「不便ね!日本語は嫌い!!」 眉間にぐっと皺を刻み、那智は吐き捨てるように言い、咳き込みながら続けた。 「でも、英語にするとこの体が拒絶する」 さっさと諦めればいいのに、と英語で文句を言いつつ、那智は眉間に指をあて、何かを宥めるようにため息を落した。 その様子に動じることなく、ナルは体の向きをかえ、那智の顔を覗き込んだ。
「お前は山上那智ではないな?」
かち合った視線に、那智はうっそりと微笑み、ゆっくりと、もったいぶって頷いた。 「お前は誰だ?」 「私はゴーストよ」 「霊ならば、生前の名前を言え」 「何?」 「Your real name ? 」 「・・・」 にやにやと笑うばかりで答えようとしない那智に、ナルは眼光を鋭くして更に質問を重ねた。 「何が目的だ?」 那智はつっと上体を起こし、熱のこもった視線でナルを見据えた。 「あなたにだったら、協力してあげてもいいと思って」 「協力?」 抑揚のない冷ややかな声が空気を刺した。 「オリヴァーは知りたいんでしょう?わたし、オリヴァーになら教えてあげてもいいのよ」 しかし那智はその顔から恍惚とした笑みを消すことなく、うっとりと言葉を続けた。
「ゴーストについて」
悠然と微笑み、那智は上半身を起こすと、右手を宙にうかせて、長い髪を絡めるように指を回転させた。 その指の動きを見た瞬間、まどかはとっさに那智の右手を掴んだ。 「・・・・・・・・・・・・・・ ジ・・・・ラ 」 信じられないと、顔を強張らせるまどかに対して、那智はありえないほど口の端を釣り上げた。その表情に確信を得て、まどかは慎重にその名前を繰り返した。 「あなた・・・・本当に、ジラ・エバンズなの?」 那智は満足げに微笑み、大きく首を縦に振った。 「そう、私は ゛ ジリア ゛ よ」 那智が口にした名前に、まどかが表情を固くすると、那智は愉快そうに笑い声を上げた。 「まどかなら思い出してくれると思ったの。あなたは私に一番親切だったから!」 「ジラ、どうして?」 「どうして?さっき言ったわ。私はオリヴァーに ゛本当のこと゛ を教えにきてあげたのよ」 那智はそれだけ言うと、まるで糸が切れたかのように唐突に布団の上にばたりと倒れた。 「ジラ!」 まどかが慌てて手を伸ばしたが、その手をまどかはすぐに引っ込めた。 「気を失ったか?」 驚きの感情のすら伺えない声が安否を尋ねた。 「ええ」 まどかはそれに返事を返しながら、失神して倒れこんだ那智の身体を何とか布団の中に押し込めた。 「憑依状態は長く続かないようだな」 「そのようね」 頷きながらも、まどかは険しい表情のまま那智を見下ろし、ため息をついた。 「それにしても、厄介な人物がお出ましになったわね」 まどかのため息に、ナルは僅かに首をすくめた。 「去年の冬に訃報が届いたんだけど・・・」 「知らない」 「そうよねぇ」 「それ以前に」 「え?」 「ジラ・エバンズとは何者だ?」 ナルの問いに、まどかは目を丸くし、ついで複雑そうに顔を歪めた。
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