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遠すぎる背中 |
第13話 追いつかない、届かない |
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曇天が地面にまで落ちたような陰気な冬。 あたりは肌を刺すような冷たい空気に包まれていた。 厚いコートを着てもまだ寒く、ジラは身体を小さくするように両手で肘を抱き、ブーツの中で足の指を丸めた。 いつもならこんな寒い日に屋外に出るような真似は絶対にしない。 例え用事があったとしても、それは取り巻きの一人に押し付けて、自分は暖かい部屋に逃げ込み、自分は大好きなロシアンティーに舌鼓を打っているはずだ。けれど今日だけはどうしても他人に任せなれなくて、ジラは自ら一人で雪でも降りそうな屋外でその人を待ち伏せた。プライドをかけた話があった。そのためには、多少の寒さを堪えるのは仕方がない。そう思って慣れないことをしたというのに、冬のイギリスは暴力的に寒く、待ち伏せを仕掛けた相手はジラが話しかけてもまるで無反応で、大声で食い下がると感情の見えない顔で淡々と言い返した。
「あなたと話すことは何もない」
抑揚のない、雪より冷たい声に、ジラはかっとなってさらに大声でまくし立てた。 「わたしにはあるわ!オリヴァー・デイヴィス!!!変な噂を聞いたのよ。わたしが今回の調査チームから外れた理由は、私が嘘をつくからあてにならないって、オリヴァーとユージーンが嫌がったからだって」 相対するオリエンタルな整った顔立ちをした少年は、ジラの怒声に僅かにも動揺することなく真っ黒な瞳を僅かに細めた。 ジラはその様子に苦虫を噛み潰したような顔をして、イライラと高い声を上げた。 「否定しないのね?」 「・・・」 「ふざけないで欲しいわ。私はちゃんと霊体が見えるのよ!私は真性の ミーディアム(霊媒)よ!ミーディアムでもないあなたに判断される筋合いなんかないの!!!お陰で私はいい迷惑よ!今からでも遅くないわ、撤回しないさいよ!!」 くってかからんばかりの勢いのジラに対して、正面の少年、オリヴァー・デイヴィスは面倒臭そうにため息を落とした。 「確かに、君に幽霊と呼ばれるものが視えることは証明されている。が、功名心と優越感に惑わされて君が故意に嘘をつくこともまた事実だろう。虚偽のデータは研究に不必要である以前に害悪だ」 「わたしは嘘なんてついてないわ!その根拠のない非難を受ける筋合いがないって言ってるのよ」 オリヴァーは迷惑そうに顔を顰め、そのままジラの背後に視線を投げかけ、後はそちらに、と、言わんばかりに顎を引き上げ、ジラがその視線に気が付く前にためらいなくジラに背中を向けた。 「ちょっとオリヴァー!」 「ジラ!」 慌てて追いかけようとしたジラは、正面ではなく背後から呼びかけられた声にぴくりと肩を揺らした。 やわらかくはあるが、揺るがない、正面の男と全く同質の声。 「ユージーン……」 肩越しに視線を這わせると、そこには着ているものこそ違えど、まるで鏡に写したようにそっくりの顔をしたもう一人、彼の双子の兄が立っていた。 「ジラ、フィールドワークのチームはもう決まったんだ。変更は認められないよ」 「それに異議があるからこうして来たのよ」 火のついたような視線に、ユージーンは困ったような笑みを浮かべた。 「オリバーが能力者狩りをしているのは、ケンブリッジでも暗黙の了解になっているわ」 「…」 「それがまさかわたしにまで及ぶとは思いもよらなかったけどね!冤罪だわ!!サー・ドリーのお気に入りだからってやっていいことと悪いことがあるわ!私の評判はガタ落ちよ!」 宥めるように伸ばされた手を、ジラは勢いよく跳ねつけ、怒鳴った。
「大嘘つき」
その瞬間、温和なユージーンの瞳が僅かに翳った。 ユージーンは伸ばしかけた手をゆるゆると引き寄せ、長く伸びた白い指先をしばし眺めてから、ジラを見遣った。 「心外だな。僕もナルも嘘なんかついていないよ」 シニカルに微笑むユージーンは、まるでオリヴァーその人のようで、ジラは軽い眩暈と背筋が冷たくなるような寒気を感じた。 知らず強張ったジラの顔を見据え、ユージーンはことさら優雅に微笑んだ。 「ジラ、僕もミーディアムなんだ。君が真実を言っていることも、それを大げさにふれまわっていることも、でまかせを言っていることも、僕の目と耳はしっかりと見分けることができる」 淡々と告げるユージーンの言葉に、ジラは怒り狂うのを必死に堪え、言い返した。 「何を言っているの?わたしが視えるものが、あなたに視えないからっていい加減なことを言わないでもらいたいわ」 「僕は視えないものは視えないって言う。わからないものはわからないと言う。視えること、わかることだけ言っているよ」 「勘違いよ」 「霊媒は周囲の期待に沿おうとするあまり、時々自分でも自覚できない "善意の嘘" をつく」 「・・・」 「でも、君は嘘をついている自覚があるでしょう?そういう嘘を、ナルは最も嫌うんだ」 ユージーンはそう言うとジラの脇をすり抜け、前方を歩く双子の片割れの横まで駆けて行った。 「わたしは本当に視えているわ」 すれ違いざま、ジラは呟くように囁いた。 聞かれていないと思ったその呟きに、しかし、思いもよらず返事が返った。 「うん、知ってる。君は本当に視えている」 はっとして顔を上げると、ユージーンはさっきまでの薄ら寒い笑顔を一掃し、いつもの優しい彼らしい笑顔を湛えてジラを見返した。 「だから君は余分な嘘はつかなくていいんだよ」 それは春の陽だまりのような、手に触れることも叶わないと思わせる、酷くやわらかな笑みだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
結局、真砂子が痛めた足は骨折していた。 そのため真砂子は綾子とともに病院に残り、滝川一人が山神神社に戻って来た。 そして支度を終えて戻って来た安原とジョンを交え、メンバーは留守中に録画された映像を見て、憑依状態の那智を目の当たりにした。
「本名、ジラ・エバンズ。霊媒体質で、12歳の時からSPRの実験や調査に協力してもらっていたんだけど、去年の冬にくも膜下出血によって亡くなっているわ。享年23歳。会話途中で彼女が名乗った゛ジリア゛っていうのは、双子が発端になって彼女についた不名誉なあだ名よ」
録画映像を見終えたメンバーにまどかは簡潔に表層に現われた憑依霊の素性を説明した。 「どういうこったい?」 滝川の質問にまどかは僅かに表情を曇らせ答えた。 「実験の途中でね、ナルとジーンがジラの霊視に虚偽の事実があるって告発したのよ」 「告発?」 「ジラは確かに優秀な霊媒だったんだけど、ちょっと虚言癖のある子で、ものごとをオーバーに語る癖があったのね。とっさにつまらない嘘をつく子どもがいるじゃない。あんな感じ。でも、正確に物事を言い当てることもあるから、ジラのそういうところを関係者はまぁ大目に見ていたって所もあったのよ。それが・・・ナルとジーンがジラは虚偽の報告をするってはっきりと名言したの。それが結構騒ぎになって、その時彼女に付いたあだ名が " ジリア "」 「どういう意味ですか?」 安原の質問にまどかは首を傾げ、言いにくそうに説明した。 「ファーストネームの" J・I・L・A "に、嘘つきの" liar "をかけて、ジリア」 「ははぁ、陰口に使われるようなニュアンスのあだ名ってわけですね」 「ええ」 まどかは困惑気味に微笑み、説明を続けた。 「その騒ぎの時はちょうど私がフィールドワークのチームを作る時だったのね。ジラは言語センスが飛びぬけていて、当時でも8ヶ国語くらい喋れたの。それで日本語もネイティブ並に喋れたから、チームのメンバーの候補に上がっていたわ。でも、そんな経緯もあってジラはチーム候補から外したの。プライドの高い子だったから、それが許せなかったみたいで、その後も何度も何度もアプローチがあったわ。……ナル、リン思い出した?」 まどかに問いかけられ、それまで沈黙したままモニタを観察していたリンは僅かに頷き、ナルは興味なさ気に肩をすくめた。 その様子にまどかはため息を落とした。 「あなた達が知らないのも当然なんだけど、ジラは私達のチームに入ることにそれはそれは執着していたのよ。自分の名誉が挽回されるのは、それしかないって感じの気迫だったわ。特にジーンがいなくなってからは露骨に態度に出すようになってたわね。ただ、彼女の場合、自分の実力を示そうとより誇大表現を使うようになったから、彼女にあった信頼はどんどん失われていったの」 完全に空回りしている彼女を、まどかは何度となく忠告し、落ち込みが激しい時は親身になって相談にのった。 けれど、彼女の激しい思い込みは突然の死が彼女を迎えるまで、とうとう修正されることはなかった。 沈みこむまどかに辺りが沈黙すると、それまで沈黙を守っていたリンが口を開いた。 「確か、彼女のロンドン出身ではありませんでしたか?」 「ええそうよ。確かロンドン市内だったんじゃないかしら」 それがどうかした?と、尋ねるまどかに、リンは抑揚のない声で応じた。 「母国語は」 「もちろん英語よ」 「とすると、死後の憑依状態なのに、彼女は言語まで操れるくらいはっきりとした自我と記憶を持っていることになりますね」 リンの指摘にメンバーは顔を見合わせ、隣室で眠る那智が映ったモニタに視線を這わせた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
走っても追いつかない。足掻いても届かない。 でも、卑下することはない。 彼は誰をも側に置こうとしない。その必要を感じていない。 それがわかるだけ、自分は彼により近い。 「いつまでわたしを無視し続ける気?」 彼に認められれば、この不条理な待遇は一変するだろう。 「これだけわたしの恨みをかって怖くないの?」 それはどれだけ幸福なことだろう。 「わたしが死んだらゴーストになって、オリヴァー、あなた憑りつかれて殺されるかもよ?」 私の脅しに、彼は期待通りの無表情で毒を吐いた。
「それでもう話しかけないでくれるなら、願ってもないね」
美しい容姿、優秀な知能、高い評価、特殊な力、強い精神力、安易に女性になびかない潔白さ。 その魅力を持った彼は、その上、彼の唯一絶対だったミーディアムのパートナーを失った。 これほどわたしに似合いの男はいない。 わたしは彼がわたしに傅く様子が見てみたい。 そして、わたしは見返すのだ。 まどかを。 ケンブリッジを。 わたしをバカにした全ての研究者を ――――――
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
胸を押す、咽るような熱い圧迫感に、麻衣はたまらず目を覚ました。 ぼやけた視界には見慣れない天井の木目が映り、今が調査中であることを悟った麻衣は条件反射で飛び起きた。 「あ・・・・いっつつ」 しかし、勢いよく飛び起きると後頭部に強烈な痛みが走り、麻衣は痛む場所に手を伸ばした。 ――― うぇぇ、たんこぶできてるよぉ。 ぼこりと盛り上がった頭を恐る恐る撫でながら、麻衣はぐらぐらと揺らぐ視界に耐え切れず、腹部に頭を擦りつけるように丸くなった。そして、むっと匂う香りに気がつき、その香りから芋ずる式に見た夢の内容を思い出した。 出会った頃よりまだ幼い頃の恋人と、生きている時は出会えなかった初恋の人の現われる、胸苦しい感情に支配された夢。
―――― この匂いは、女の匂いだ。
麻衣はこみ上げる不快感に吐き気を堪えながら起き上がり、ベースに向かった。
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