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遠すぎる背中 |
第14話 遠すぎる背中 |
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ベースに駆けつけた麻衣が報告した夢の内容は、憑依霊の素性をより確かなものにするのに必要十分な情報だった。 徹底された無表情を崩すことのないナルに対して、まどかは複雑そうな苦笑を浮かべ、その場で本国に電話をかけてジラ・エバンズの詳細情報を取り寄せるよう指示を出した。
「ここまで情報がわかっているなら、呼び出すことは十分可能です。ただ、喋らせるなら明日以降ですね。今日は日が悪い」 程なくして届いたメールに目を通し、リンが判断を告げると、それまで無言で佇んでいたナルが重い腰を上げた。 「行動は予定通りだ」 さらりと顔にかかる漆黒の髪をかき上げ、ナルは居合わせた面々の顔を見遣った。 「第一優先は依頼主の安全だ。山上さんが目覚めた時点でジョンによる祈祷を始める。リアルネームが分かった今、憑依霊を落とすのにも前回ほど抵抗はないだろう」 言外に促され、ジョンは小さく頷いた。 「さいです。お名は一番強い戒めですさかい、まず落とすだけどしたら、ご本人さんが逃げなければ大丈夫と思いますです」 神妙に頷くジョンに、滝川は軽く背を叩いた。 「霊が暴れたら七縛かけるし、那智自身が暴れたら羽交い絞めして押さえておくから任せろや」 「はいです」 「で、落としたらどうするんだ?真砂子は病院だ。その場での浄霊は無理だろ」 滝川が問い掛けると、ナルは何を聞いていたと顔に書いたように露骨に顔を顰め、首を振った。 「そもそも原さんは最初の接触の時点からジラにことごとく嫌われている。説得は無理だろう。霊との会話は明日、リンを介して行う。そこで話をしてみて、ラチがあかないようだったら、ぼーさんの出番だ」 「除霊ってことかい?」 「ああ。今までの経緯からしても、あれを放っておくのがいいとは思えない」 ナルの即答に滝川は呆れて肩を竦めた。 「おいおい、仮にも知り合いだったんだろう?そんな簡単でいいんかいな」 「そうよ、ナル。仮にもSPR所属の人間だったのよ」 まどかが抗議の声を上げた時、それまで大人しかった麻衣が口を開いた。 「ナルはジラさんのこと知っていたんでしょう?」 何故か挑戦的な視線を寄越す麻衣に、ナルは黒曜石のような瞳を細め、頭を振った。 「頭と口と耳の悪い霊媒だったということは思い出した」 叩き落とすような冷淡な物言いに、誰より早く安原が顔を上げ、食って掛かろうとする麻衣をいなした。 「はっきりとした霊との会話は、面白いデータではないんですか?」 感情面を殺ぎ落とした安原の問いかけにも、ナルは僅かに顎を上げ、否の姿勢を崩さず、なめらかな口調で続けた。 「人間の意識を介した時点でデータとしての価値はない。さらに、彼女は耳の悪い霊媒で、他人の言うことが全く入っていかない人間だった。お陰で虚言癖は最後まで抜けなかったのだろう?そんな人間の死後の愚痴につきあってやれるほど暇じゃない」 彼なりの理はあるのだろうが、あまりといえばあまりな裁断に、麻衣は派手な音を立てて立ち上がった。 霊媒体質と麻衣本来の性分から亡くなった人間にも人格を見出し、それを尊重しようとする麻衣が、ナルのこの極端に冷徹な考えに反発するのは至極当然のことだったので、周囲の者はさして驚きもせずに立ち上がった麻衣を見つめた。 調査中、この2人が衝突するのはままあることであった。 そしてそのおおよそのパターンでは、少々行き過ぎの感のあるナルの指針に対して、麻衣が大騒ぎするか、一人で暴走し、どさくさにまぎれて解決したり、最近では折衷案が講じられることが多かった。しかし、最終的な決定権がナルの手から離れることはなく、何事にも揺るがないナルの精神力と極めて有能な判断力によって、調査は解決する。 ある種のパターンにハマった事の推移に、安原などは既に優秀過ぎる頭脳で別のことを思案し始めていたくらいであった。 しかし、皆が見守る中、何故か麻衣はそれ以上口を開こうとせず、苛立ちを隠そうとしない鳶色の瞳でナルをギリギリと睨み、それから熱いものでも無理やり飲み込んだような涙目になったかと思うと、両手で顔を覆って怒鳴った。 「もう・・・・知らない!」 「麻衣ちゃん?」 「麻衣!」 テーブルにドアに、所構わず豪快に足をぶつけながら、麻衣はベースから出て行った。 慌てて後を追いかけようとする滝川をまどかが制し、代わりに那智の監視を言いつけると、ナルに冷ややかな一瞥をくれてすぐに麻衣の後を追った。駆けて行くまどかを見送り、安原は松の絵柄の襖を閉めつつ呟いた。 「谷山さんが敵前逃亡とはお珍しい」 それは奇しくも、その場に居合わせた全員が感じた違和感だった。
ベースを飛び出した麻衣は、そのまま母屋を抜け出して山神神社へ続く山道の入り口に向かってずんずんと歩いていた。 まどかはやっとの思いでそこまで追いつくと、木の根に足をひっかけてよろめいた麻衣に声をかけた。 「麻衣ちゃん、どこまで行くの?」 あくまで穏やかな声に、麻衣ははっと我に返ったかのように肩を揺らし、それからゆっくりとまどかの方を振り返った。 その今にも泣き出しそうな顔を眺め、まどかは柔和な顔を曇らせた。 「麻衣ちゃんや真砂子ちゃんに除霊は辛いわよねぇ」 おっとりとしたまどかの口調に、麻衣は困ったように顔を顰め、まどかから視線を逸らした。その麻衣の横まで近寄り、まどかは小さくため息をついた。 「私もね、今回はよく知っている子のことだから、心中は結構複雑なのよ?」 「・・・」 「ちょっと癖のある子だったけど、身近にいて、生前を知ってしまっているからね。そういう理由で線引きするのはどうかと思うけど、やっぱりひっかかるわ。麻衣ちゃんが感じる感情とはまた別物なんでしょうけど。でもね、那智さんから出て行ってもらうことはやっぱり必要だと思うの。その後すぐに除霊するわけではないわ。リンが呼び出して話もできると思うから、そう落ち込まないで、ね?」 まどかの慰めに、麻衣は口をへの字に曲げると、その場にすとんとしゃがみこんだ。 「麻衣ちゃん・・・・」 あわせるようにまどかもしゃがみこみ、麻衣の顔を覗き込むと、麻衣はいやいやをするように頭を横に振った。 「違うんです」 「え?」 「・・・・違う、んです」 麻衣はそこでようやく顔を上げると、目元を赤くした顔で呟いた。 「その・・・・・・・ちょっと、もう、自己嫌悪してるの」 まどかは予想外の麻衣の言葉に目を丸くし、きょとんとしたまま首を傾げた。 「自己嫌悪?」 そのゆったりとした口調の質問に、麻衣は顔を赤くし、すねたようにまどかを見上げた。 まどかは羞恥で潤む鳶色の瞳を覗き込み、さらに首を傾げた。 麻衣はたまらず瞼を閉じてその瞳を隠し、ぱしぱしと両手で頬を叩きながら呟いた。 「まどかさん」 「なぁに?」 「その・・・・那智さんに憑依しているジラさんって・・・・・さ」 「うん」
「ナルのこと、好きだったんでしょう?」
思いつめたような、切実な麻衣の声に、まどかは迂闊にも一瞬言葉を無くし、その致命的な間を埋め合わせるるように弧を描いたままだった口元に掌をあて、小さく咳払いをした。麻衣はまどかのそのしぐさにため息を一つ落とし、まどかと麻衣はそれぞれに互いの思うところを感知した。 まどかはバツが悪そうに苦笑し、悪戯っこのような表情を浮かべて朱に染まった麻衣の顔に頬をすり寄せた。 「まどかさんっっ」 驚いて逃げようとする麻衣の頭を掴まえ、まどかはさらにぐりぐりと額をすり寄せた。 「ジラが自分の名誉挽回を狙ってわたしのチームに入りたがっていたことは事実よ」 「・・・・はい」 「そして自分の悪癖をあからさまに非難したナルとジーンを敵視していたことも事実」 「はい」 「ただ、確かにそれで全てじゃないわ」 「・・・」 「ジラはプライドが高くてね。そういうことを一切認めようとはしていなかったし、随分屈折した感情を持っていたように私は感じたわ。それでも・・・・・そうね、ジラはナルが好きだったのかもしれないわね。そう思えばつじつまが合うような気もするわ」 「・・・」 「でもね、ナルは気がついてなかったと思うのよ?」 「・・・」 「ジラがはっきり言うことはなかったし、なんて言ってもナルは研究バカだったからね。自分に寄せられる関心には本当に疎かったの。必要ともしていなかったし」 まどかはそこでふっと笑みをこぼした。 「よく分かるでしょう?ナルは昔も今も " ナルシストのナル " なのよ」 まどかの笑みに、麻衣もつられたように微笑み、それからまどかの額に今度は自分から額を押し付けた。 「よくわかります。夢の中のナルも、やっぱりナルでした」 「ああ、そうよねぇ。麻衣ちゃんが見たのは間違いなくジラの過去だもんね」 苦笑するまどかに麻衣はさらに微笑み返し、呟いた。 「死んだら憑り付いて殺してやるって言っても、全然興味も持ってくれなくて、ナルは背中を向けてそのまま歩いていったんですよ。一回も振り向きもしないで」 「あらあら」 「どんどん小さくなっていく背中を見ているのは、すっごく情けなくて、みっともなくて」 「うん」 「切なかった」 麻衣はそう言うと、くしゃりと顔をしかめた。 「まどかさん」 「なぁに?」 「でも・・・・・ね、あの、ですね」 麻衣はそこでしばし躊躇い、耐えるように胸を押さえた。 「でもジラは可哀想な片思いってだけじゃないの」 「・・・・・・うん」 「遠くなっていくナルの背中を見つめている時に、思いつくのは何で自分を認めないのかって恨みばっかりなの」 「うん」 「ジラは自分のことしか見てなくて、自分の感情しか大切じゃなくて、ナルが好きなのに、ナルの気持ちとか・・・いや、ナルに感情があったかどうかはいまだによく分かんないけどさ、あったとしても分かりずらいんだけど・・・・」 「それはよく分かるわ」 脱線した麻衣の話に思わず苦笑したまどかに、麻衣は辛うじて笑い返し、そこでぽつりと涙をこぼした。 「ナルのことなんかどうでもいいの。あるのは自分の気持ちだけで・・・・自分が可哀想って、それだけの感情でいっぱいになっているの。好きなはずなのに、苦しいだけで、息がつまりそうになっているの」 苦しそうに言う麻衣の髪をまどかは指先ですきながら、ため息をついた。 「そうねぇ・・・・そういうところがある子だったわ」 「まるで憎んでいるみたいだった」 麻衣は脳裏に張り付いた無慈悲なナルの後姿を振り払うように瞼を閉じ、涙を流した。 「私、意地悪だ」 麻衣は喉の奥をひくりと鳴らした。 「私もナルが好きだから、ナルに無視されてすっごく悲しかったし、辛かった。そんな思いをしたジラさんに同情するところもあるの。ナルなんて本当に性悪だって恨みたくもなるの。でも、私もナルが好きだから、ナルが好きなジラさんが嫌なの。ジラさんの気持ちで、こんなこと言うのも、ジラさんに同情できない自分に言い訳したいだけなのかもしれない」 麻衣はやるせなさそうにため息をつき、こぼした。
「私、ただ嫉妬しているだけなのかもしれない」
むせるような女の匂いがした。 それは女の子同士の中ではごく自然に生まれるし、自分の中にもある香りだ。 それが鼻について本当に嫌だった。 その感情が他の何もかもを押さえ込み、あまつさえ乱暴に彼女を排除しようとする行為すら受け入れたがっていた。 それは嫌だ。 それは違う。 それではこの鼻につく、嫌悪すらしてしまいそうな女の匂いと同じことをしようとしていることになる。 頭ではその危機感が警報を鳴らすのだが、だからどうしたらいいのかがうまく言葉にならない。身動きがとれない。どうしていいのかわからない。まるで動き方を忘れてしまったみたいだ。 今まではどうしていたのだろう、と、記憶の中の自分の行動を思い出してみる。 でも、それをそのままなぞった所で、気持ちがついてきていなければ、特に自分達がやろうとしている憑依霊への呼びかけはうまくいくことは絶対にない。 それならば、いっそその場にいない方がまだマシだ。 何もしない方が、中途半端に場を乱すよりずっといい。 この不安定で我儘な精神状態では、何をしても責任が持てそうにない。 そう思う一方で、麻衣の胸は切ないまでの恋心に絞め付けられた。 裏があると思わせるような、偽悪的にも取れる態度でも、その底辺にある思いがざわりざわりと肌を刺す。 それはジラの過去をジラの中から見た、自分にしか実感できない、本当は実に小さな思いだったのかもしれない。 そんな小さな恋心までは、きっと、自分でなければ手を伸ばすことはできないようにも思える。 それを無視してしまうのは、同じように手の届かない恋をして、同じ人を好きになった麻衣には同じように辛いことだった。
嗚咽し、どもりながらも何とかそう訴えた麻衣の身体をまどかは両手で抱き寄せ、普段と変わらない穏やかな声でなだめた。 「リンがジラを呼ぶのは明日よ、まだ時間はたっぷりあるわ」 まどかはいつもの調子で微笑み、麻衣の頬をつねった。 「それまでに、" 女の子の気持ち "は゛ 女の子 ゛で考えましょう。三人寄れば文殊の知恵って言うでしょう?真砂子ちゃんは骨折しているから駆けつけるのは無理にしても、ここには女性が4人もいるわ。きっと何かいい考えが浮かぶわよ。麻衣ちゃんがそれで納得できれば、もしかしたらジラも説得できるかもしれないでしょう?」 「4人・・・・ですか?」 頬をつねられたまま、きょとんと惚けた表情をする麻衣に、まどかはにっこりと笑った。 「松崎さんに麻衣ちゃんに私、それに那智さんよ」 「那智さんは依頼主じゃないですか」 「野暮な男どもより、よほどアテになるわ」 自信たっぷりに断言するまどかに、麻衣はたまらず噴出した。 笑い出した麻衣に、まどかは満足気に微笑むと、すくりとその場に立ち上がり、麻衣に手を伸ばした。 「さ、まずはベースに戻りましょう。何はともあれ、優先される事は那智さんからジラを落とすことだわ」 春の日差しを思わせる、温かくも心強い微笑みに、麻衣は目元を擦って頷き、伸ばされた手を強く握った。
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