すぎる背中

第15話  鈍感!

 

母屋への向かう途中、麻衣とまどかは前庭の隅に駐車していたバンとワゴン車の脇にナルと安原の姿を見つけた。

 

「安原さん」

「おや、お帰りなさい。落ち着かれましたか?」

 

ふわりと微笑む安原に、麻衣は恥ずかしそうに頭を下げ、無表情のまま口さえ開こうとしないナルには背を向けた。

その態度にぴくりとナルの柳眉がつり上がったが、まどかはあえてその表情の変化を無視して安原に尋ねた。

「どうしたの?」

「松崎さんから連絡が入ったんです」

「原さんの処置が終わったのかしら?」

まどかの問いに安原は頷き、簡潔に真砂子の状態を説明した。

「ええ、幸いにもヒビが入った程度で大事には至らなかったようです。念の為、ギプスは嵌めたそうですけど、入院は必要ないとのことです。それで今から僕がお迎えに行ってこようかなぁって思って」

「ふぇ、良かったぁ」

大きくため息をつく麻衣に安原は頷き、早々にワゴン車に乗り込むと、エンジンをかけた。

「それじゃぁ、所長、いってきます。帰りに音声ケーブル買ってきますね」

そして、安原は言うが早いか車を発進させた。

その後ろ姿を見送りながら、麻衣は耳に入った単語に首を傾げた。

「ケーブル足りなかった?」

いつも備品は念には念を入れて多めに持ってくる。

そしてそれを実際に準備するのは、アルバイトである自分や安原の役目だ。

何か不備があったのかとナルを伺うと、ナルは不愉快そうに顔をしかめ、横で暢気そうに空を仰いでいたまどかをねめつけた。

「まどか、今朝余計なものを触っただろう」

「わたし?今朝は回収したテープを届けただけよ」

「その時何かの電源を抜かなかったか?」

ナルの指摘にまどかは視線をさまよわせ、それからはっと顔を強張らせた。

その表情だけで、後の説明は不要だった。ナルは口の端を歪め、まどかを睨んだ。

「まどかは自分が天才的に機材と相性が悪い自覚があるのか?」

「あら、酷い言い方ね」

「自覚がないからこんなケアレスミスが発生するんだ。お陰で音声収集の一部の機材の制御ができなくなっていた。今、リンが調整をしている」

「………」

「………」

以前、機械とは仲が悪いと言ったまどかのセリフを思い出し、麻衣は居たたまれない思いでまどかを見やった。が、当のまどかはわかっているのかいないのか、いつもの微笑を浮かべたまま首を傾げただけだった。

この食えない上司に説教をする効率の悪さを思い、ナルはため息を一つ重ねると、顎をしゃくった。

「それからまどかにはビルから連絡が入った。至急電話をよこせと言っていたぞ」

「ビル?」

本国にいるはずの同僚の名前を告げられ、まどかが首を傾げると、ナルは口の端を歪めて続けた。

「来年度新規予算に申請したプロパーコーディネイトの提出資料に不備があったそうだ。このままだと受理できないらしい」

語られた新しい情報に、今度はさすがのまどかも心底驚いたように目を丸くし、すぐに手元の腕時計に視線を落として時差を計算し、顔を青ざめさせた。

「まずいわ…」

「だろうな」

まどかは嫌そうにナルをねめつけたが、すぐにその時間も惜しいと我に返り、そのままナルと麻衣をその場に残して玄関に一目散に駆けて行った。呆然と見送る麻衣に、ナルは抑揚のない声で呼びつけた。

「というわけだ。麻衣」

「うあ?」

「来年度の予算枠確保のため、しばらくまどかは使えない。ま、そもそも機材に触らせる予定はなかったが」

「へ?」

「予備の機材を搬入する。手伝え」

返事を待たない指示だけ飛ばし、ナルはさっさとバンのハッチを開けた。 

 

 

 

 

黙々と詰め込まれた機材を漁るナルに、麻衣は後ろに控えながらも気詰まりになって声をかけた。

「ねぇ、ナル」

「・・・」

「ナルってば」

何度か呼びかけて、ナルはようやく煩わしそうに顔を上げ、麻衣の方を振り返った。

「何だ?」

「あのさ、那智さんは目を覚ましたの?」

問いかけに、ナルは胡乱な眼差しで麻衣を見返しながら、首を横に振った。

「まだ」

「起きないの?」

「ああ、ぼーさんとリンがモニタで監視している。起床次第落とせるようにジョンが隣室を清めている最中だ。搬入が終わったら手伝え」

「へぇい」

「何?」

「いや、はい。わかりました」

ぴょんっと姿勢を正した麻衣の手元に、旧式のマイクスタンドを手渡しながら、ナルはその様子に眉根を上げた。

「それで?」

「え?」

「今度はまた何を考えているんだ?」

逆に尋ねられ、麻衣が目を見開くと、ナルは殊更面倒そうにため息を落とした。

「どうせまた下らないことを考えているのだろうが、いつもの麻衣らしくない」

「何だよ、それ?」

「事実だろう」

ナルはバンのドアを閉めながら言い捨て、最後の仕上げとばかりに麻衣が持ったマイクスタンドにマイクコードを乗せた。

「ちょっと!自分はマイク本体だけ?マイクスタンドの方が重いじゃんか!何で女の子の私がこっち持つんだよ?」

荷物の明らかな不平等さに、麻衣が不平を言うと、ナルはしれと言いおいた。

「適材適所」

「そういういらん日本語ばっかり覚えるな!しかも使い方間違ってるし」

「腕力は麻衣の方があるんだから、間違っていないだろう」

「そういう問題じゃなぁい!!仮にも紳士の国の人間でしょう?!」

顔を赤くして抗議する麻衣に、ナルは薄っすらと酷薄な笑みを浮かべた。

「こうしている方が麻衣らしい」

「はぁ?」

「感情のままわめき立ててともすれば暴走する。これが迷惑な話だが、麻衣のアイデンティティだ」

突然の自己評価に、麻衣は面くらいながらも眉間に皺を寄せた。

「誉められた気がしないんですけど、所長」

「誉めてない」

冷淡な物言いに麻衣が絶句すると、ナルはわずかに目を細め続けた。

「いつものパターンでは、麻衣は除霊を嫌がって僕にくってかかるか、自分で説得しようと喚き立て始める。大人しくしている場合は、後から隠れて説得しようと画策しているのが関の山だ」

「う…」

「前回の調査でも同様だったからな。反論できまい?」

「別に、いつもそうしたくて、そうしているわけじゃないもん・・・」

麻衣がナルから視線をそらすと、ナルは細めた瞳を閉じた。

「それが今回はいずれにも該当せず、それどころか僕の前から逃亡だ。何がしたいのか全くわからない。報告した夢以外に何か隠したい情報でもあるのか?何にせよ単独行動は厳禁だ。麻衣の立場で黙秘権は存在しないと教えたばかりだと思ったが、足りない脳みそではそれしきの前提条件も覚えていられないようだな」

ねちねちと続く陰険な嫌味に、麻衣はむぅっと頬を膨らませ、反抗した。

「違うよ!分かった情報は全部話したもん!それでわかんないのは、ナルが鈍感だからだよ!!」

「ほぅ」

感嘆するような声に、麻衣は絡め手に捕まったと察知したが、既に激した感情は収まらず、

 

「それでは、その鋭敏な感性が察知する答えをぜひお教え願いたいですね」

 

優美な笑みに退路は絶たれた。

感情の波も読み取れない、闇を凝縮したような漆黒の瞳を見上げ、麻衣は自分の感情を持て余して唇を噛んだ。

 

――― 本当は全部分かっててあえてこんな意地悪なことやってんじゃないの?

 

麻衣は内心に浮かんだ疑念に心を奪われそうになったが、すぐにまどかとの会話を思い出してその考えを振り払った。

 

――― ナルは " ナルシストのナル " だもんな。

 

唐突に笑みをこぼした麻衣ををナルは不信そうに見下した。

その視線を感じ、麻衣は口の端を吊り上げた。

 

「だってさ、自分の彼氏を好きな女の子が出てきちゃったら、心中穏やかじゃいられないじゃない」

 

僅かに、虚をつかれたナルを見上げて、麻衣はにんまりと笑みをつくった。

「私が知らない頃のナルを知ってて、しかもジーンまで知ってるんだよ。少しくらいジェラっても仕方がないことだと思うんだよね。そういうのが全くわかんないナルは鈍感だって言ってんの!」

むっつりと黙り込むナルに、麻衣は調子に乗って嫌味を連ねた。

「ナルがそんなんだから女の子の恨み買っちゃって今回みたいなのになるんじゃない?ナルって女心にとことん鈍いよね」

調子ずいた麻衣を、ナルは顔から表情を消し、静かに制した。

「興味もない」

「それでも、最低限デリカシーは必要でしょう?」

「それなら僕の側に寄らなければいい話だろう」

切って捨てるような口調に、麻衣は鼻白み、ついで複雑そうに顔を歪ませた。

 

 

 

「私も?」

 

 

 

不意に近付いた整い過ぎた美しい顔に、麻衣は反射的に瞼を閉じた。

予想もできたし、把握もできているはずなのに、唇が触れた瞬間、麻衣は泣きたいような幸福な気持ちになった。

それが自分のものなのか、はたまたジラのものなのか判断できなくて、麻衣はこの感触が自分だけのものだと確認するように、ふさがった両手を伸ばす代わりに必死に口を開け、舌を伸ばし、ナルから差し出されたキスにしがみついた。

その麻衣の反応にナルは驚きはしたが、それを態度に示すことなくそのままじっくりと反応を返し、十分な時間互いの口を吸いつくしてからゆっくりと顔を離し、潤んだ鳶色の瞳を見下ろして薄く微笑んだ。

 

「不安だったのなら、言えば良かったのに」 

 

僅かに余裕の見えるそのセリフに、麻衣は上気した頬を膨らませた。

「ナルのバカ。こんなんで誤魔化さないでよ」

「バカは麻衣だろう」

躊躇いなく離れた体に腕を伸ばし、ナルは麻衣の額を弾いた。

 

 

 

「僕からこんなキスをしてもらえるのは麻衣だけだ。麻衣はその価値を過小評価しているんじゃないか?」

 

 

 

瞬間的に真っ赤になった麻衣を残し、ナルは人の悪い笑みを浮かべた。