すぎる背中

第16話  置き忘れた感情

 

火照ったように熱い身体に対して、頭は底冷えするように冷たくなっていた。

酷い風邪をひいたように身体が重い。

――― いつの間に眠ったんだろう。

那智は覚えのない客間にひかれた布団から起き上がると、ふらつく身体を支えて廊下に顔を出すと、ちょうど廊下向かいの襖が開いて、滝川が顔を出した。

「よぉ、起きたか」

「法生」

懐かしいような明るい茶色の髪が揺れる様子が視界に飛び込み、那智は思わず気安い、ぶっきらぼうな口調になった。

「ちょうど良かった。何で私ここで寝てたのか知ってる?ちょっと記憶があやふやなのよ」

那智の口調に滝川は気が抜けたような顔をし、訝る那智に苦笑した。

「那智本人、間違いなし」

「何よ?」

「いや、いいんだ。こっちの話」

滝川はにやりと笑うと、襖の奥、関係者がベースと呼んでいる機材の山に向かって何事か囁き、それからすぐに那智の方に向き合い、軽く那智の肩を叩いた。

「台所で茶でもいれてやるから、それ飲みながら話してやるよ」

滝川はそう言うと、那智の前を歩いて台所に向かった。  

勝手知ったる他人の家。

滝川は遠慮なく周囲をあさりながらも、秀春が蒐集している緑茶を見つけ出し、渋過ぎる程に濃い緑茶をいれて那智と自分の前に出すと、自分はその場に立ったまま資料庫で倒れたあたりから現在に至る経緯をかいつまんで那智に説明した。那智はお茶に文句をつけながらも、始めは気負いなく滝川の話を聞いていたが、真砂子が病院に運ばれたあたりから、那智に憑依していた女性の正体がわかるあたりになると見る見る顔を青ざめさせ、黙りこくって俯いた。滝川はそれでも構わず最後まで話し切り、しばしの沈黙の後、重い口調で断言した。

「天罰だな」

きつい言葉の響きに、驚きのあまり言葉もなく那智が顔を上げると、滝川は重々しく頷いた。

「大体なぁ、アルバムなんかを引っ張り出そうなんて趣味の悪いこと考えるから、罰が当たったんだ」

そのあまりの神妙な表情に、那智は一気に力が抜けた。

「・・・・・・・・何言ってるのよ、ぼーずのくせに。本当に昔っからじじむさいんだか・・・」

するりと飛び出した文句に、那智は慌てて口をつぐんだ。が、見れば、正面に座る滝川の顔には人を食ったような意地の悪い笑みが浮かんでいた。

「懐かしいねぇ、よく言われたもんだ」

「法生!」

「まぁ、那智は気にすんなって。こういう仕事をしている限り、多少の危険は付きまとう。真砂子は今回運がなかったけど、それも那智のせいじゃない。憑依霊の正体が分かったんだから、那智はすぐにでもジョンに落としてもらえるから大丈夫だよ。ああ見えて、ジョンの憑もの落としは一流なんだ」

にやりと笑う顔に毒気を抜かれて、那智は苦笑しながら首を傾げた。

「ジョン・・・は、ブラウンさんよね」

「そうだよ」

「不思議ね、こんな特殊な事態なのにちゃんと得意不得意って役割分担があるんだね」

「そうだなぁ・・・うちは特に節操なしにバリエーション豊富だからな」

「こういうのは、みんな一緒なんだって思ってたわ。神父さんにしてもお坊さんにしても、種類が違うだけでやっていることはみんな一緒。見える人も一緒、力がある人も一緒って。まぁ、法生は私や・・・・あの子とかと比べると強いんだなぁとは知っていたけど」

那智が言うと、滝川は苦笑まじりに頷いた。

「まぁ、そういう側面もあるわな。確かに未だに俺の法力は力技っていうのが一番得意だし、事実このメンバーではそういうトコばっかり期待されているからな。でもその力の方向性ってのが人によって少しずつ違うんだよ。同じようにスポーツの身体能力が高いっていっても、野球選手とマラソン選手の筋肉は全く違うだろ?簡単に言えばああいうもんなんだって俺は思ってる」

流暢に説明する滝川に、那智は疎外感を感じ、息を飲んだ。

「楽しそうだね」

かすれた声で那智が呟くと、滝川はどうだろうと首を捻りつつも、嬉しそうに微笑んだ。

「口が悪くて、嫌味の天才みたいなヤツらばっかりだけどな」

「そうなの?」

「おう、それだけは自信を持って言えるね。ボスをトップにして気の緩む暇がねぇよ」

「その割にはよく遊んでいるように見えるけど」

「ひでぇな」

声を出して笑い出した那智に、滝川は目を細めた。

「でも、確かに楽で、嬉しいよ」

「うん?」

「こういう業界だとさ、見えねぇもんでも見えるって言ってみたり、知らねぇことでも知っているって言ってみたりしても、一般人には結局わかんなかったりするわけじゃん。嘘とはったりで何とでもなってしまって、それがあるから胡散臭い目で見られて、俺らだっておいそれとは自分達が" 視える "なんて言わなかっただろ?」

滝川の問いに、那智は同じように目を細め、少しおどけて答えた。

「怖くてそれどころじゃなかったよ」

いつも慌てふためいていた那智を思い出し、滝川は愉快そうに笑った。

「そうだなぁ、那智は特に怖がりだったもんなぁ。さすが、あの親父にしてこの娘って思ってたよ」

「ちょっと、それは酷いよ。いくらなんでもお父さんと一緒にしないで」

「そのいい草もたいがいでしょ」

「・・・・そうだけど」

「那智ならわかるべ」

「うん?」

「自分が見ているもの、やっているものを正確に理解してもらえて、疑惑には疑わしいとストップをかけられる」

「・・・」

「ここには、この業界じゃ珍しい " 倫理 " があるんだ。そんなもの何の役にも立たないだろうと思っていたけどよ、ちゃんと理解しあえて、心霊現象に立ち向かう時にはこれほど確かなものはない。そうやって信頼し合えるってことは、実際はしんどいことも多いんだけどよ、いざって言う時には強くって、疑いがない分楽で、やっぱり嬉しいもんだよ」

穏やかに微笑む滝川から、那智は思わず目を逸らし、それからふと麻衣が言っていたことを思い出した。

「そういえば、法生は幽霊が見えなくなったって聞いたんだけど・・・・それ、本当?」

「那智も昔ほど見えなくなったんだろ?」

まぜっかえす滝川に那智は眉間に皺を寄せつつ、質問を重ねた。

「それでもいいわけ?」

「さすがに場が完成されて、えらい強いヤツだったら見えるし、見るのは真砂子や麻衣の役目だからいいんだよ」

滝川はそう言うと、既にぬるくなった湯飲みに口をつけ、渋過ぎる緑茶に顔を顰めた。

「お茶汲みも麻衣の役目。祈祷が終わったら入れなおしてもらえよ。麻衣のお茶は美味いぜ?」

那智は曖昧に微笑み、それからふと、窓の外に見えた人影に目を見開いた。

 

「噂をすれば、じゃない?」

「ん?」

 

那智の視線を追うように滝川が振り返ると、窓の外、山上神社の山道入り口から下りてくるまどかと麻衣の姿が見えた。

2人は何やら笑い合いながら前庭に向かい、ちょうど玄関から駐車していた車に向かって歩いていたナルと安原と顔を合わせ、何事か話をし、すぐに安原は車に乗り込み出発し、まどかは玄関へ、ナルと麻衣は前庭奥に駐車していたバンに向かった。

「安原さん、どこに出かけたの?」

「ん?ああ、真砂子と綾子を迎えに行くって言ってたからな」

「病院?」

「そう、ナルちゃんは何だろうなぁ・・・荷台開けているから、足りねぇ機材でも出すんかな」

食堂にいる滝川と那智には気がつかず、まどかは玄関をくぐるとぱたぱたと忙しく廊下を抜けていき、まっすぐベースに向かったようだった。その足音につられるように滝川が腰をあげかけたが、那智はそのまま前庭を凝視し、構わず話を続けた。

「オリヴァー・デイヴィスもプロなわけよね」

「ん?ああ、ナル坊ね。あれはプロ中のプロ。冷酷なまでの研究者だから」

「何それ?」

「真理に厳しく、人情に薄いマッド・サイエンティストなのよ」

「へぇ・・・まぁ冷たい感じはするけど」

「あの坊ちゃんがいるからねぇ、俺らも下手なこと言えないのよ。でたらめなことすると、すぅぅぐ毒舌が発揮されるからね」

「そうなの?」

いぶかる那智に滝川は知らないってことはいいことだよな。と、呟き、ナルと麻衣が向かったバンを指差した。

ナルはバンの中から何組かのマイクスタンドとコードを取り出し、それをためらいなく麻衣に持たせ、そこから何事か2人で言い争いを始めたようだった。その様子を遠目に眺め、那智はあきれたように声を上げた。

「オリヴァー・デイヴィスは荷物持たないの?」

「他人ができることは自分じゃやらない天才博士ですから」

「相変わらずねぇ」

「まぁね、いつものことだ。んで、麻衣と喧嘩になるのもな。まぁ、麻衣もちょっとやそっとじゃ引かねぇけどな」

滝川はくつくつと笑いながら今度こそ腰をあげた。

その瞬間、那智が小さく悲鳴を上げた。

 

「え?」

 

滝川が驚いて顔を上げると、那智はまだバンを見つめていて、その視線の先ではマイクスタンドを抱えたままの麻衣に、ナルが長いキスをしている最中だった。滝川はその光景を目にした瞬間、思わず舌打ちした。

 

「あっの・・・エロガキっっ」

 

しかし目の前に呆然と座り込む那智がいる手前、そのまま取り乱すこともできず、滝川はしばらく苦悶の表情を浮かべていたが、取り繕うように苦笑いし、立ち上がりかけていた椅子に腰を落とした。

「びっくし?」

「びっくり」

「だよなぁ」

滝川はぽりぽりと頭をかき、それから嫌そうに弁明した。

「あ〜、でもその…な、うちのボスとあのバイト実は付き合ってんだわ」

「嘘?!」

思わず口をついて出た大声に那智は自分で驚いて顔を赤くしたが、滝川は慣れた口調で説明した。

「まぁ、うちのボスは顔は大変よろしゅうございますのでね、信じられないだろうけど、本当。その分おつりがくるくらい性格悪いんで、二重の意味で彼女がいるなんて信じられないだろうけど、本当なんだよね」

「…」

「ま、それにしたって今は調査中…そうだよ!調査中じゃんか!ナルめ、麻衣に手ぇ出しやがって!責任者が何やってんだ?!」

滝川は自分で言っておきながらそれに気がつき、俄然意気盛んに立ち上がった。

玄関に向かおうとする滝川の後を、那智は慌てて追い、引き戸に手をかけた滝川の右手を思わず掴んだ。

思いの他力強く引っ張られ、滝川はよろめきながら立ち止まり、那智を見下ろした。

「那智?」

「あ・・・・」

那智は掴んでしまった右手の処理に困ったが、すぐに手放すのは惜しい気がして、そのままの体勢で滝川を見上げた。

 

――― こんなの、今さら困るんだけどなぁ。

 

那智は自分で自分の感情にダメ出しをしつつも、懐かしい顔を見上げて微笑んだ。

「何?」

唐突な那智の変化に明らかに驚いている滝川に、那智は余裕を滲ませて話し掛けた。

「私、てっきり谷山さんと付き合ってるのは法生だと思ってた」

「はぁ?」

豪快に大口を開ける滝川に、那智は苦笑した。

「だって一番仲よさそうだったし、思わせぶりだったんだもん。谷山さん高校生くらいに見えるから、私、てっきり法生は犯罪者になったんだなぁって心配してたんだよ」

すらすらと流れるよう話す那智に、滝川はむず痒いような表情を浮かべ、口をへの字に結んだ。

「犯罪者って…本当に、余計なお世話。心配いらねぇよ」

「そうなの?だって何だか寂しそうよ?あ、もしかして法生片思い?」

「ぶわぁか。俺は麻衣の " お父さん " ポジションなの!愛しい娘のために骨を折るのが父親の役目なんだよ。苦労するってわかってて、誰が娘に難しい恋人できるのを喜ぶかってんだ」

滝川の言い訳に、那智は内心で歓声をあげつつも、表面上は呆れたように眉根を下げた。

「同じ年とは考えたくないようなオヤジくさい考え方ね」

「本当に那智はあいかわらず小うるさいねぇ」

滝川は力任せに那智の短い髪をぐしゃぐしゃとかきまぜ、その手で那智の体を引き離して、玄関に向かい、ちょうど外から入ろうとしていたナルに対面した。

 

「よぉ、ナル。お前は昼間っから一体何やってんだ?」

 

ふつふつと滲みでる滝川の怒気で事の事態を把握したであろう漆黒の美人は、それでも表情一つ変えることなく靴を脱ぎ、滝川を完全無視してベースに向かった。

「おい、コラ!ナル!!!!!」

後を追う滝川の背中を見送りながら、那智は滑稽なほどあっけなく乱れる自分の感情に、堪えきれず口元を歪めた。

 

もう二度と届かないとあきらめた広い背中がすぐ目の前にある。

この誘惑は今だけの幻なのか、本物なのか。

自分はこのままのぼせ上がるべきか、冷静になるべきか。

この戸惑いは臆病な心根なのか、自然のことなのか。

那智は振り返ることなく先を進む背中の横に、本来であればあったはずのもう一人の背中を無意識のうちに探していた。

視えないものを視ることができた、いつも冷静で、いつも平等だった人。

彼の言葉はいつも耳に痛かった。

けれど、後から思えばそれはいつも真実だったからに他ならない。

もう一度声が聞きたい。

そして教えて欲しい。

 

 

 

「あ、那智さん目が覚めたんですね」

 

 

 

那智は声がした方を振り返り、大荷物を抱え、遅れて玄関に顔を出した麻衣に笑みを浮かべた。

 

「心配かけてごめんなさい」

「いいえぇ、気持ち悪いとかありませんか?」

「大丈夫よ。谷山さんこそ大丈夫?」

「私は頑丈にできてますから」

 

 

違う。

私は聞きたいだけだ。

 

 

「汗かいて、埃っぽくなってしまったから、シャワー浴びたいんだけど、一人は怖いから付き合ってくれる?」

 

 

 

違う。

私は "真実" を知っている。

だから聞く必要なんてない。

彼の側にいるべき人間は私だけ。

本来、私だけなのだ。

 

   

 

邪魔なものは "嘘" なのだから、消してしまえばいい。

 

 

 

那智のお願いに麻衣はマイクスタンドを抱えたまま笑顔で頷き、僅かに頬の赤いその笑顔に、那智はゆったりと微笑み返した。