すぎる背中

第18話  本当に欲しかったもの

 

泣き止みたいのに中々止められなくて、結果泣き過ぎて、喉は掠れて、目元は熱く腫れた。

しかし、那智は違和感に我慢できなくなって、控え室で濡れた体をタオルで拭きえながら、同じように着替えをしていた麻衣に尋ねた。

  

「谷山さんは私がジラに乗っ取られているって、最初から気がついていたの?」

  

那智の問いかけに、麻衣は乾いた洋服に袖を通しながらあっさりと頷いた。

「ああ、気がついてましたよ。私の能力って皆と比べたら全然安定してなくて、実力的にはみそっかすなんですけど、自分の危機にはとっても敏感らしいですね。だから玄関で那智さんを見た瞬間に気がつきました」

「あの段階で?」

驚く那智に、麻衣はその時のことを思い出したかのように背筋を震わせながら苦笑した。

「首の後ろがぞわぞわして、那智さんは笑っているんですけど、はっきりと害意みたいなの感じたんです。あ、でもそれってジラのことだから、那智さんは気にしないで下さいね。危険なことに関しては、私本当に鋭いんですよ」

動物並だって、いつも皆にバカにされるんですけど、と、苦笑する麻衣に、那智はそれでも振り払えない疑問を投げかけた。

「でもそれから私と谷山さんはずっと一緒で、特に誰かと話したようには見えなかったけど、どうしてあのタイミングで法生やブラウンさんが駆けつけて来れたの?」

メンバーがいたベースから浴室までは距離があった。

麻衣悲鳴を上げたにせよ、あのタイミングで滝川やジョンが駆けつけるのは早過ぎる気がした。

言外に、那智の疑問に気がつき、麻衣は首を傾げ、説明した。

「途中でベースに荷物を置きに寄ったじゃないですか」

那智は頷き、その時掠め取った延長コードを思いやり、僅かに身震いした。

そこで那智の体を奪ったジラは物陰の延長コードに気がつき、目の前にいる麻衣の感電死を思いついたのだ。

「あの時下手に動いたら、ジラを警戒させて那智さんがどうなるかわからなかったから、状況を説明できんなかったんですけど、危ないって思ったから、私無言で皆の顔を必死に見つめたんですよ」

麻衣はその時の顔真似をするように、ぐっと眉間に力をこめた。

「こう順番に、ナルとリンさんとまどかさん、それからぼーさん、ジョンって見渡したら、皆それぞれ一瞬動きを止めたんですね」

那智はその時の状況を思い出したが、麻衣に対する殺意に満ちていたジラを介して、そんな状況は全く感知できていなかった。

「で、ナルがちょっとだけ頷いたから、とにかくナルには分かってもらえたって分かったから、後は那智さん・・・・・いや、あの時は完全にジラですね。ジラに気がつかれないように浴室に付いていって、危ないって思った瞬間にぼーさんを呼んだんです」

「法生が付いて来るって分かっていたの?」

「あの時点では廊下まで追いついてきてなかったんで、実ははっきりとは分かっていませんでしたねぇ」

のほほんと答える麻衣に、那智は反射的にイラつき、眉間に皺を寄せた。

「随分いい加減なのね」

知らず強くなった語調に、麻衣は困惑した表情を浮かべたが、そうかもしれません。と、那智の言葉を肯定するように頷いた。

「でも、私の仕事の第一優先事項は那智さんの安全でした。だから、あの時下手に喋ってジラを刺激することはできなかったし、那智さんを一人にすることは絶対にできなかったんです」

はっきりと言い切る麻衣の口調からは、揺るがない芯が見えた。

その潔いまでに徹底されたその意識に、那智は言葉を飲み込んだ。仕事をしている麻衣に、思わず感情で文句を言ってしまった自分が酷く恥かしかった。だがしかし、麻衣は気にする様子もなく、すぐに相好を崩し、いつもの気安い笑みを浮かべた。

「まぁでも、信じてはいたんですよ」

「え?」

「いい加減と言われればそれまでですけど、とにかくベースに寄った時点でナルが私に気がついたことははっきりしてました。ナルのことだからそれを気のせいで済ませて、危機を見送るようなヘマはしません。ぼーさん達も気がついていたと思うけど、とにかくすぐに対処が取れるように、ナルだったら手配すると思ったんです。相手はジラだってわかっていましたから、きっとジョンは必ず来る。でも相手は那智さんだと偽って行動を起こしているから、何か騒ぎが起きるかもしれない。その時は力技が得意なぼーさんがまず飛び込んで来るだろうなって思っていたんです。だから一番にぼーさんを呼んだんです。途中でナルが手を出したのは予想外でしたけど」

「オリヴァー?」

「あ!いや、ちょっと色々・・・まぁ、那智さんが無事だったから、まずは目的が果たせたので、よかったです。後はジラの対処ですけど、それはプロがやりますから、那智さんは安心して下さい」

何かを誤魔化すように両手を振りながらも、麻衣はしっかりと那智を見据え、まるで母親のように微笑んだ。

那智は純粋に自分を守ろうとした麻衣と、図らずも滝川が食堂で説明した信頼関係を目の当たりにし、居たたまれないような切ない思いに囚われた。

互いを信用し合い、がっちりとスクラムを組むその関係は、すっと胸がすくほど格好良く、羨ましいほど清々しい。

そしてこの憧れにも似た感情こそが、ジラに付け込まれた原因だと、那智は唐突に気がついた。

「それにしても、今回は憑依状態でも那智さんは意識がはっきりしていたんですね」

邪気のない、麻衣の声は暴力的なほど痛い。

那智は痛む胸を抱えながら、顔を上げた。

 

「ジラが見ていろって、言ったのよ」

 

いつの間にか涙はすっかり乾いていた。

「ジラは私と自分はそっくりだって言ってたわ。確かに、私とジラはよく似ていたの。憑依されているうちに段々にお互いのそんなことが分かっていって、ジラは私をそんなに敵対して、奪い取ろうとは思っていなかったみたい。だから、今回は自分の意思で体を動かすことはできなかったけど、意識は残っていたんじゃないかしら」

年も違えば場所も異なり、憑依したのは偶然だったとジラは言った。

それなのに、怖いほどに、あの憑依霊と自分は本当によく似た人生を歩んでいた。

 

゛霊視能力 ゛

゛疎外感 ゛

゛優越感 ゛

゛理解者への満たされない欲求 ゛

 

抱え込んだ感情は驚くほど似ていて、それでも "他人" だからこそよくわかった。

見ていろと言った時、体を抜ける瞬間、駆け抜けていったジラの感情は吐き気がするほどどす黒く歪んでいた。

けれど、その歪みはただただ、那智に哀惜の情をもたらした。

「ジラは確かに悪意に満たされていて、意地悪で、谷山さんにあんなことをしておいて、何を言うんだって感じだろうけど……私、どうしてもジラを一方的に責められないの」

まるで懺悔するように、那智が力なく言うと、その声色に気がついたのか、麻衣はいつの間にか笑みをひっこめ、真剣な眼差しで那智を見上げた。

「ジラの気持ち、少しわかるの」 

気がつけば、麻衣は那智の真横に座りこみ、ためらわず那智に抱きついてきた。驚き、硬直する那智の横で、麻衣は一つ深呼吸をすると、一息に話をした。

「私、夢で色んなものが見ることができるんです。今回はジラの夢と――――それから、ごめんなさい、那智さんの過去を夢にみました。多分、那智さんが高校生の頃だったと思います。だから、私も、ジラと那智さんの気持ちわかります」

耳元で囁かれる話に、那智はさらに驚きはしたが、取り乱すのも馬鹿馬鹿しいと、そのまま大人しく耳を傾けた。

麻衣は那智の反応を確かめると、止めていた息をほぅっと吐き出し、話を続けた。

「実は私……その、うちの所長のナルって、つまりオリヴァー・デイヴィスと……」

「付き合っているんでしょう?」

那智の指摘に今度は麻衣が体を強張らせた。その素直な反応に、那智は思わず口の端を釣り上げた。

「目が覚めてから、法生と食堂にいたの。そこから2人が荷物を運ぶところが見えて、キスしているとこを目撃しちゃったの」

「あ・・・・・」

「ジラにしては予想もしてなかったことで、それで一気に怒り出しちゃって、あんなことになっちゃったのよ」

「うっわぁ、ご・・・ごごご、ごめんなさい」

すっとんきょうな声を上げ、慌てて離れようとする麻衣を、那智は苦笑しながら抱き返し、気にしないと首を横に振り、話の先を促した。

麻衣は動揺しつつも必死に自制しながら、ごもごもと言葉を続けた。

「その・・・・だから、私もナルが好きだから、ジラのことは、正直戸惑ったんです。本音を言えば、ナルに近寄る女くさいジラが本当に嫌だったんです。だから私はジラに嫉妬しちゃって、どうしても冷静になれない。今でもまだ戸惑ってて、自分の判断が正しいのか自信なんかないんです。でも、色々と屈折してるけど、ジラがナルを好きだった気持ちもわかっちゃったから、ジラを全部嫌いになることもできなくなっちゃったんです。あの冷血漢を好きになるって本当にしんどいことですから。思わず庇いたくもなっちゃうんですよね」

正直過ぎるような麻衣の話に、那智は細く笑った。

「お人よしねぇ。そんなこと言っているとあんな綺麗な恋人、ジラでなくても取られちゃうわよ」

矛盾しているとは思いつつも、那智が思わずそう口に出すと、麻衣はぴくりと肩を揺らした。

「それはダメ」

そして呟かれた即答に、那智はたまらず噴出し、麻衣の頭を撫でた。

麻衣はしばらく押し黙ったが、それから小さく笑い返し、那智の肩に頭を押し付けた。

「矛盾してると思うんですけど、たぶん、ジラと同じ気持ちを持っているから私もジラが嫌いにはなりきれないんです」

 

" 好き "だという単語すら受け付けられなかった、臆病なジラ。

自分の感情しかみていなかったジラ。

それがジラの視野を極端に狭くし、醜く歪によじれさせた。

    

「この世に留まっている幽霊をあちらの世界に送る方法は、大きく分けて除霊と浄霊の2種類があるんです。浄霊は幽霊を説得して、自分からあちらの世界に送る方法で、除霊は力技で強制的幽霊をあちらの世界に送ってしまう方法」

麻衣はそう言うと、那智から離れ、強い意志を持った瞳で那智の顔を見返した。

「今、はっきりした。私はジラを悪霊のように除霊してしまいたくない。ジラの心をあきらめたくない」

胸が痛くなるような、思わず目を背けたくなるような、怖いような真心に、那智は息を飲んだ。

 

 

 

「ジラも私も自分が一番大切で、傷つくのが、多分死ぬほど怖かった」

 

 

 

理解してくれそうだったから好きになったのか、好きな人だから理解して欲しかったのか、その順番はジラも自分も曖昧だ。

自分はそれに引け目を感じ、自制してしまったけれど、本当はそれすら些細なことだったのかもしれない。

 

「でも、好きな人に、自分をわかってもらいたかったのよ」

 

本当はただそれだけだった。本当は本当に大切だった。

那智の胸に唐突に堰を切ったようにジラの感情が湧き上がった。

その直向なまでに思いつめた感情は、ある意味究極的に純粋だったのかもしれない。那智はその思いに堪らず口を開いた。

「ジラは自分が死んだと分かった瞬間、喜んだの」

麻衣が驚いたように目を見開いた。

誰でも驚くだろう。

そう思ったら、耐え切れず、涙がこぼれた。

「これでやっとオリヴァーの側にいけると思って喜んだの」

可哀想なジラ。

再び泣き出した那智を麻衣は静かに見守り、それから穏やかに訂正した。

 

   

「恋しいのはわかります。でも、それは自己陶酔です」

 

 

冷ややかな声だった。 

同情的だった麻衣に急に反対意見を言われたような気がして、那智は顔を顰めたが、麻衣は構わず続けた。

「ナルは生きています。ナルにだって感情もあって、人格があって、好き嫌いがあって、彼の人生がある。その現実をちっとも見ていなかったのに、死んだら全部許されるなんてそんなわけないじゃないですか。そればっかりはジラの悪いところです。それを私は純粋だとは思わない」

唐突に黙り込んだ那智に、麻衣は苦しいように息をつきながらも、何故か怒ったように話をした。

「幽霊になったら会えるなんて、それも嘘で塗り固めたジラだけの夢です。ジラがナルを好きだったのは、私も那智さんもわかってる。でもジラは認めなかった。そして、自分の本心から最後まで逃げてしまったってことじゃないですか。そして、怖いからって自分以外の現実を見なかったってことですよね。その方が安全で、楽だけど、それじゃぁどこにも進めない。周りが見えなくなったら、本音で付き合える自分以外の他の人なんていつまで経ってもできない。だって、いくら言っても他の人の言葉が聞こえないですもん。私も自分に自信なんかないから、その気持ちはよく分かるけど、本音を誤魔化している限り、そこから抜けられないって知ってます。本音で向き合わないと、自分のことも見失ってしまう。それは逃げているだけです」

確信を持って言う麻衣の瞳は熱に浮かされたように潤み、そこには必死に伝えようとする誠意が潜んでいた。

「那智さんはもう分かっているんでしょう?だったら、ジラの嘘に泣いたりなんかしないで下さい。人は中々ダメになったりしません。だから可哀想だって酔わないで下さい。それじゃぁ、自分しか見えなくなってしまうもん。ジラみたいに、抜けられない所にハマりこんでしまう。ジラの嘘を可哀想だって認めたら、ジラは浄霊なんてできなくなってしまいます。だってそれ、嘘だもん。本当じゃないもん」

 

 

 

「嘘はいつの間にか色んなものを汚してしまうから、余分な嘘はつかない方がいいって、私は思います」

 

 

 

まるで祈るように、必死に訴える麻衣の言葉に、那智の中で懐かしい記憶が唐突にフラッシュバックした。

「同じことを言うんだね」

「え?」

「ううん」

那智は首を振り、顔を上げた。

真摯な言葉はいつまでも忘れることを許さないように胸に残っていた。

そしてそれは年月を経て、ようやく心にまで届いた。

「私は高校時代、法生のことが好きだった。でもふられるのが怖くて、その気持ちは最初からなかった事にしてうやむやにしていた。私はそれでいいと思っていたんだけど、10年経ってもコンプレックスになっていたみたいね。そこをジラにつけこまれた」

那智は一息に胸にわだかまっていたことを吐き出すと、深呼吸を一つした。

「言ったらなんだかすっきりしちゃった」

「那智さん…」

麻衣がその顔を見上げると、那智ははにかんで笑った。

「ジラも気がついてくれたら、きっと自分の力で天国に行けるんでしょうね」

文字通り、まるで憑物が落ちたような那智の表情に、麻衣はほっとしたように頷いた。

「私もそう思います」

「もう死んでいるのに、わかって・・・・もらえるかな」

「うぅぅん、あのキャラですから、難しいですよねぇ」

瞬間的に遠い目をして、へらりと笑う麻衣に、那智も苦笑した。

「中々思い込みの激しい人だから」

「気性も激しいですよね」

「その上意地っ張りだから」

「でも、努力してみます」

「どうやって?」

純粋に疑問に思い、那智が麻衣の顔を覗き込むと、麻衣はくすぐったいように微笑み、即答した。

 

「生きている人と同じです。諦めないで、本音で向き合うしか方法はありません」