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遠すぎる背中 |
第19話 後手に回るつもりはない |
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ようやく繋がった電話は、酷いノイズが混じりで、声がとても遠かった。 どこから掛けているのかとナルが問い掛けると、一際激しいノイズが入り、ナルは眉間に皺を寄せた。 そのノイズの隙間を縫うようにして、辛うじて安原が返事をした。 『まだ・・・市内です。・・・は悪くない・・・ですが、山・・・さんに・・・・かけると、・・・つながりが・・・・悪いんで・・・』 癇に障るノイズに、眉間に皺を寄せながら、ナルはその声に耳をそばだてた。 しかし、必要最低限の内容が辛うじて伝えられた直後、無常にも通話回線は切れ、以後、二度とつながらなかった。
「やぁぁん、もう!どうしてメールが送れないの?リン!何とかしてぇ!」
背後ではまどかが悲鳴を上げ、自分が使っていたパソコンをリンに押し付けると、自分は携帯電話を取り出しリダイヤルを押したが、それでまどかの表情は益々曇った。 「・・・どういうこと?携帯が使えないわ」 「どうやら、ジラが妨害しているようだな」 「え?」 ナルが渋い顔をする中、滝川とジョンに連れられて青い顔をした麻衣と那智がベースに戻ってきた。 そして麻衣はナルの顔を見るや、強張った表情で訴えた。 「ナル、ジラが暴れてて、家の周りの空気がおかしい」 麻衣の訴えにナルは目を細め、その先の説明を促した。 「どういうことだ?」 「ジラの姿とかは見えないんだけど、怒っているのがわかるの。ビリビリ電気が走っているみたい。それで周りの空気が急に淀み始めてるの」 麻衣はそう言うと袖を引っ張り、細い右腕をナルの前に出した。 「全身鳥肌が立って収まらない。怖いみたいになってる」 ナルは僅かに頷くと、横で同じように顔を青くしている那智を見やった。 「山上さんはどう感じますか?」 促され、那智は反射的に戸惑いを見せたが、すぐに口元を結び頷き返した。 「そういう気がするだけなんですけど・・・」 「構いません」 「私には、地面が底の方からひっくり返されているような、何だかとっても不安定な感じがします。そこから湯気みたいなのが出ていて、景色も何だか歪んで見えます」 那智の表現に麻衣が更に表現を付け加えた。 「周りの景色が蜃気楼というか、陽炎みたいに見えるの」 「そう!そんな感じ。車酔いみたいで気持ち悪い」 ナルは2人の会話と安原から切れ切れに伝えられた真砂子の霊視情報を掛け合わせ、眉間に深い皺を刻んだ。 「神社という土地柄が災いしたのかもしれないないな・・・・」 「え?」 問い掛ける視線に、ナルは淡々と入手した情報を話した。 「先ほどから外部との連絡が取れなくなっている。辛うじて安原さんからの電話が一度繋がったが、何故か道に迷ってここまで辿り着けないらしい。正確な情報はわからないが、原さんの霊視では、この土地が突然霊場として活性化されているようだ」 さらに電話、ネット回線が不通状態になっていることを説明され、居合わせた面々はそろって固い表情を浮かべた。 「原因はジラなんだろうな・・・」 「おそらくは」 するとそれまで黙々とモニターに顔を向けていたリンが振り向き、ナルを見上げた。 「ナル、浴室での騒ぎからずっと、ジラと思わしき霊体からの強い拒絶反応を感じます」 「拒絶?」 「ええ・・・この状態では私の招魂には応じてこない可能性が高くなります。招魂に強制力はありませんので」 そこでジョンと滝川は顔を見合わせた。 「何で突然こんな強い反応が出たんだ?」 「僕が那智さんから落としたことがきっかけちゃいますか?」 納得いかないという顔をした滝川に、ナルも僅かに思案するよう顔を曇らせた。 ヤボな男はあてにならないと暴言を吐いたまどかの言葉が、いみじくも的確にその場を表現していた。 麻衣は深呼吸を一つすると、いつの間にか汗ばんだ両手を打ち合わせ、ぱちり、と、くぐもった音を立てた。 そしてその音に集まった視線を思い切って見返し、指をクロスさせた。 馬鹿げていると一笑されるかもしれないけれど、説明しないことには始まらない。 ジラに残っていた恋心を踏みにじりたくはない。 「あのね・・・」 麻衣はそこで那智とそれぞれに感じたジラの心境を説明し、自分が浄霊のために説得したい旨を訴えた。
案の定、居合わせた面々は麻衣の提案に難色を示し、ナルに至っては呆れ返ったようにため息を落とし、麻衣に背を向けた。 すっかり重くなったその場をまとめるように、滝川が麻衣の頭をぽんぽんと叩きながら、麻衣の提案の穴を衝いた。 「麻衣ちゃんよぉ。ジラを直接見たお前が、その女の子を消したくないって思うのはわからんでもないがな。実際にそれは無謀っちゅうもんじゃねぇのか?」 「そ・・・かな?」 「そうだろうよ。言いたかないがな。つまりその状況が正しいとすればだ。ジラにとって麻衣は目の上のたんこぶ。憎い恋敵なわけじゃん。そんな女から説得されて、はいそうですか、って普通なるか?平常心でもそんなのプライドが許せねぇよ。それが今は興奮状態なわけだろ?聞けるわけねぇと俺は思うがね」 「・・・・そう、何だけど・・・・でも!今、ジラに直接コンタクトを取ろうと思ったら、私がトランスするしかない状況じゃない。ジラにとったら嫌だろうけど、やってみる価値はあると思うの!今のままなら除霊だってできないでしょう?」 麻衣はそう言うと、途中からナルを仰ぎ、続けた。 「このままだったらジラの反応を待つだけになるよね?それじゃぁ手遅れになる可能性が高くなるわけでしょう?」 声を張り上げ訴える麻衣を、ナルは横目で眺めると、口の端を吊り上げた。 「後手に回るつもりはない」 「だったら!」 「除霊は可能だ」 「は?」 「ジラを呼び出して、そこをぼーさんかリンに攻撃させれば済む話だ」 " 攻撃 " という言葉に那智が息を飲む横で、滝川が首を傾げた。 「除霊すんのはいいけどよ。やっこさん、今は隠れている状況だろう。場所にも人にも憑いてねぇ、どうやって引きずりだすんだ?」 滝川の質問に、ナルはさして面白くもなさそうに肩をすくめた。 「麻衣と山上さんの話を加味すれば、いい囮があるだろう」 「囮?」 「僕だ」 ナルは事も無げにそう言うと、にっこりと優美な笑みを浮かべた。 「護符を持たずに外に出れば、パニック状態の霊のすることだ。飛びついて来るんじゃないか?」 「ナル!危険すぎます!」 背後からリンが咎めるような声をあげたが、ナルはそれを無視して続けた。 「もちろんその時はリンとぼーさんに援護してもらう。二人ともプロという自覚があるなら、みすみす僕を見捨てることはしないだろう?」 「それは・・・」 「それとも自信がないのか?」 「・・・」 黙り込み、互いを見比べるリンと滝川の横で、麻衣が声を張り上げた。 「ナル!そういうことじゃなくて!その前にジラの・・・」 「既に死んでいる者の死後の感情の残滓に対して、そこまで関心を払ってやる必要はない」 「ナル!」 「仮にもSPRのミーディアムだった者が悪霊化し、生きている人間に害をもたらしているんだ。自己責任を取らせてやるのが筋だろう」 「でもっ」 食って掛からんばかりの勢いの麻衣をまどかがやんわりと制した。 「まどかさん!」 泣きそうな顔で自分を見上げる麻衣を見下ろし、まどかはにっこりと常と代わらぬ笑みを浮かべ、穏やかな口調でナルに告げた。 「ナル、あなたは神にでもなったつもり?」 「・・・」 「確かにジラは調査員だったわ。その経歴があるのに、こんな事態を巻き起こした彼女に一切の非がないとは言わない。でも、死はそれほどインパクトのあるものだったのかもしれなくて、ジラだけが責められるべきだったのかは今となっては分からないことよ。ただ、はっきりしているのはジラは亡くなり、こちらにとどまるべきではないということだけよ。その方法に罰として除霊を強制する権利は生きている人間である私たちにはないものよ」 朗々と語るまどかに、ナルは目を細めた。 「今、まどかと倫理感について話し合いをするつもりはない」 「あら奇遇ね。私もそう思っているわ」 「優先すべきはすばやい現状の問題解決だ。閉じ込められていては、何もできない」 「あわせて、気持ちのあり方も重要だわ」 まどかはそう言うと、麻衣と那智の肩を抱き、ナルににっこりと微笑んだ。 「ジラだけのメンタルフォローじゃないわ。霊視能力者と被害者、それからこの私もジラの救済を願っている。この場で4人の女性のメンタルを無視するのは賢い選択とは言えないわ」 「この場での責任者は僕ですが?」 「ええそうね。だから賢い判断をと、お願いしているのよ」 不動の意思を携えた微笑と、鉄壁の無表情。 傍目にそうは見えなくとも、それは沈黙を持った上司と部下のにらみ合いで、それは付き合いが長ければ長いほど骨身に染みる恐怖の現場だった。その沈黙に、最初に耐えられなくなったのは滝川だった。 「ナルちゃんや・・・女性を敵に回すのは賢いとは言えないぜ?」 明らかに弱腰の滝川の声に、ナルは固く硬直させていた瞳から力を抜き、瞼を閉じた。 「あくまで反対すれば、ここで上司命令を発令させるんだろう?」 心底嫌そうなナルの呟きに、まどかは答えずにっこりと笑みを深めた。 「時間の無駄だ」 ナルは眉間に皺を寄せ、一瞬間沈黙すると、直ぐに闇色の瞳を見開き、よく通る声を発した。
「これより隣室にて麻衣がトランスに入る」
決定された対処方法に対して、瞬時にその場の空気が変わった。 「ありがとう、ナル!」 嬉しげに頬を上気させる麻衣を無視して、ナルはさらに指示を飛ばした。 「リンはすぐに結界を張りなおせ。麻衣のトランス状態は僕が誘導、監視する」 「わかりました」 「他の者はベースにて待機。最もジラに憑依されやすい山上さんのガードを最優先とする」 「おう」 「気張らしてもらいますです」 神妙に頷くジョンの横から、リンが口を挟んだ。 「念の為、結界を引いたまま、式を残しておきましょう」 「それでいいだろう」 ナルは頷き、もう一度面々の顔を見渡し、最後に真剣な表情の麻衣を見つめた。
「始めよう」
トランスとは、意識下で半覚醒状態になることで、麻衣の場合はその状態になることで霊と接触したり、過去視、霊視をすることができることが分かっている。 具体的に目に見える状態としては、睡眠状態に近いということで、意識をトランスに誘導するナルを除いたメンバーは、那智を交えてベースに待機し、麻衣のトランスを邪魔しないように声を潜め、モニターで隣室の状況を見守った。 那智もしばらくは皆に倣ってモニタを注視していたが、多人数の中でかえって邪魔になると、途中から一歩引いて窓際の隅に腰を下ろした。 窓の外には小さな中庭が見える。 古い先祖が作った中庭は、松や楓、椿などに彩られた古式ゆかしい日本庭園の造りをしている。 しかしそれも今は歪んだ陽炎の中に滲んで見えるだけとなっていた。見つめれば見つめるほど気分が悪くなる。しかし、そこから目を逸らすことは、今、一人でジラと立ち向かっている麻衣から目を逸らすような気がして、那智はじっと外の様子を眺め続けた。 そしてその状況は、事態が変わらぬまま、一時間半経過した。
「いくらなんでも時間がかかり過ぎてるんじゃねぇか?」
それまで微動だにせず、モニタを監視していた滝川が呟くと、同じように神経を張り詰めていた面々が声を潜めて囁きあった。 「いくら谷山さんでも、渋谷さんのお付き合いある方ですから、やっぱり説得は難しいん違いますやろか」 「特に相手は興奮状態ですから、時間はかかるのかもしれません」 「それでも、確かに時間はかかり過ぎているわね」 まどかはふっとモニタから視線を外し、じりじりと焦り始めていた滝川を見遣った。 「でも、ナルが監視しているのよ。あの子がみすみす麻衣ちゃんを危険に晒して放置するわけがないわ」 「それはわかっているけどよ、うちの娘は引くことを知らねぇから・・・」 「トランスを途中で中断するのはかえって危険なことよ。その場合は麻衣ちゃんの精神が傷付くわ」 「それはそうだが・・・」 言い合う滝川らを横に、那智は不安な気持ちで中庭を見遣っり、カタカタと小刻みに震え続ける窓枠に手をかけた。 そして、視線の先に朧に浮かんだ赤い髪と栗色の髪の女性2人が絡みあうようにして中庭を横切っていくのが見えた。
「谷山さん!・・・・・・ジラ!!」
苦しそうに顔を顰める麻衣の姿が見えた途端、那智は何も考えられなくなった。 胸を占めたのは、息もできないほどの圧倒的な危機感と焦燥感だった。 麻衣の説得では、ジラは動かなかったのだ。 麻衣の声を聞き取れず、そのまま自分の本心に気がつかなかったのなら、ジラに残った感情は、麻衣への殺意に他ならない。 那智は咄嗟に中庭に出ようと踵を返した。 そして、滝川らの制止も聞かず、真っ直ぐ廊下に向かって襖を開けた。
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